2024年12月10日(火)

古都を感じる 奈良コレクション

2011年11月11日

 まずベトナム南部、ドンナイ省にある寺を訪ねた。そこでは1万5千本のジンコウジュが植樹されており、沈香が人工的に作り出されていた。

植樹されたジンコウジュの林を僧侶がゆく

 元来、ジンコウジュには特別な香りはない。傷ついた時、傷を癒やそうとして分泌された樹脂が沈着し、その部分が沈香になる。沈香はそのままでも香りがする(蘭奢待もスパイシーなよい香りがする)が、それはまだ序の口の香りであって、火で焚くなど加熱した時に、素晴らしい芳香を発散する。

 そのお寺では、僧侶が木を傷つけて沈香を作り出していた。その収入で病院を建てると聞いたが、木を傷つける僧侶の姿に違和感を覚えた。

 続いてベトナム中部のフエからラオスとの国境へと向かう。この地域に住む少数民族のコーラオ族は、沈香を薬や魔除けとして活用してきた。

コーラオ族の子どもたち。
裸足の女の子もいる

 地元の人はいないかなとあたりを見回していたら、二人の小さな女の子が現れた。すかさず写真を撮って画面を見せると、とっても喜んで、あっという間に子どもの数が増えた。

 蘭奢待が採れた場所かもしれない国境の山を背景に、かわいい子どもたちの写真を撮った。幸せなひとときだった。

 蘭奢待は、織田信長が切り取ったことでもよく知られている。

 天正2年(1574)3月23日、信長は塙九郎衛門と筒井順慶を使者に立て、書状をもって「東大寺の霊宝蘭奢待を拝見したい」と東大寺へ申し入れた。驚いた東大寺は大慌てで談合し、「宝蔵は勅封なので勅使でなければ開封できない」旨を伝えたところ、信長は4日後の27日に早くも勅使(日野耀資)を伴って奈良に到着した。翌28日には開封の儀式がおこなわれ、東大寺の7人が宝蔵(中倉)へ入ると、大きな櫃のなかに蘭奢待はあった。蘭奢待はこの櫃に納められたまま、信長が待つ多聞山城へ運ばれた。

 多聞山城で櫃から出された蘭奢待は、仏像を彫る大仏師が、のこぎりを使って1寸4分(4㎝角)ずつ、2つ切り取った。信長は「ひとつは禁裏様(天皇)へ、もうひとつは我らが拝領する」と告げた。

 このあと信長は、正倉院に伝わるもうひとつの名香である紅沈(こうちん)も多聞山城へ運ばせた。これは聖武天皇が大切にしていた香木で、全浅香(ぜんせんこう)とよばれ、北倉に納められていた。信長は紅沈については拝見しただけで、先例がないという理由で切らなかった。


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