“緩慢な併合”
しかし、この方式は大きな問題を抱えている。選挙権などユダヤ人と同等の基本的権利をパレスチナ人に与えるのか、という問題だ。権利が付与されなければ、パレスチナ人はかつての南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)と同様、差別された“二級市民”に成り下がってしまう。支配者と被支配者に分断されれば、抵抗と抑圧が生まれ、暴力の連鎖よる治安悪化は避けられない。
そしてイスラエルは名実共に民主国家の地位を捨てなければならなくなるだろう。だが、パレスチナ人に平等の権利を付与すれば、出生率の違いなどから、パレスチナ市民の人口が増え「ユダヤ国家が事実上、乗っ取られてしまう」(ベイルート筋)。ネタニヤフ氏もこうしたジレンマを十分に認識しているはずだ。
ネタニヤフ氏がやろうとしているのは「“緩慢な併合”による領土拡張の既成事実化ではないか」(同)。つまりは、和平交渉を停滞したままに放置する一方で、徐々に入植活動を推進。パレスチナ人を「平和でも戦争でもない」環境に置いておき、問題を顕在化させずに併合を思い通りにできるというわけだ。
だが、こうしたイスラエルの身勝手な振る舞いが続くと考えるのはあまりに楽観主義的すぎるだろう。「平和でも戦争でもない」環境は、怒りと不満が充満すれば、すぐに爆発してしまう。抑圧された西岸の若者たちがより過激化した原理主義組織ハマスにこぞって合流しかねない。長期的なイスラエルの安全保障にとって大きな脅威になりかねないリスクをはらんでいる。