2024年4月20日(土)

立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年5月18日

「領土」が語られていない日本の憲法

 侃々諤々の議論を交わした末、結果的にロシアといくら話し合っても、北方領土を返してくれないという結論に至った場合、武力や戦闘行為、あるいは戦争といった手段しか残らなくなる。

 そこで、この結論(選択肢)を否定する現状(問題点)が浮かび上がる。それは戦争を否定する日本国憲法の存在である。では、「領土保全」という目的と「戦争」という手段の関係はどのようなものであろうか。

 国家の成り立ちは、領域(領土・領水・領空)、人民(国民・住民)と主権という「国家三要素」に基づく。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。法学・政治学においても一般的に、「国家の三要素」を持つものを「国家」とする。

 しかし、「領土」の言及や規定は日本国憲法のどこにも存在しない。さらに日本の法律専門書を調べても、領土は国家の成り立ちとの関係で目立たないように論じられるものはあるが、領土保全の手段や諸要素の相互関連については、私の知る限り、立ち入った考察は多くなされていない。

 隣国の中国は「領土」について、その憲法の前文にしっかり規定している。「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を成し遂げることは、台湾の同胞を含む全中国人民の神聖な責務である」という明言があり、さらに、「主権と領土保全の相互尊重」などの5原則も掲げられている。故に、中国が台湾を武力統一するにあたり、その宣言であれ実施(侵攻などの軍事行動)であれ、少なくとも自国憲法上の根拠が存在するのである。

 一方、日本の場合、この辺の関係は曖昧になっている。日本国憲法の前文には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」と記され、さらに9条によって、戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認が宣言されている。では現実的に領土が外国に奪われた場合、戦争という選択肢は除外的にあり得るのか、明らかになっていない。

 北方領土の現状を見ると、ロシアの支配・入植により、すでに日本人が住む場所ではなくなっている以上、「領土」という実感もそれを取り返す切迫感も薄れていることは否めない。では、情況を変えて、現在日本国の実効支配下に置かれているどこかの領土が他国に侵攻・占領された場合、日米安保条約に安心して委ねられるのだろうか。尖閣諸島について日米安保条約に基づく米国の対日防衛義務の適用対象になるかどうかでさえ、米政権の見解や認識の表明で一喜一憂しているのでは、話にならない。

 北方領土を戦争でロシアから取り返すのは賛成か反対か、という趣旨の丸山氏の質問に対し、元島民の訪問団長が「戦争なんて言葉を使いたくない」と答えたところで、団長の内心の葛藤が浮き彫りになっていた。「戦争」という言葉を使いたくないからといって、領土の武力奪還を明確に否定したことにはならない。「領土を取り返す」という意思を放棄するといえば、論外であろう。


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