荒木センター長は、中部地区から来た応援部隊が持ってきたという色紙を見せてくれた。ヤマト社員からの応援メッセージがびっしりと書かれている。「こういうのを見ると、ヤマトに勤めて良かったと思いますよね」。荒木センター長の目にはうっすら涙が浮かんでいるように見えた。
配達にこだわるドライバーの思い
宮城県石巻市では、本業の復旧に汗するヤマト社員たちの姿があった。 ヤマトは3月21日、岩手、宮城、福島の126の直営店において、店舗での持ち込み、引き渡しを原則とする形で宅配便サービスを再開。石巻市で唯一被災しなかった蛇田センターでは、被災した他の4センターの荷物も引き受けていたため、通常の4倍程度の取扱量となっていた。
荷物引き取りの対応をしていた茅野秀和氏は、関西支社から派遣された応援部隊。現在の役職は主事で営業を担当、8年前に現場を離れている。応援を出す側の現場に負荷をかけないために管理職が派遣されている。
「久々のドライバー業務、懐かしくて気合が入ります」。茅野氏は津波の被災地を見てショックを受けたが、「応援に来ている私たちが、人一倍元気を出さなければいけませんよね」。引き取り客に対し「いらっしゃいませ!」と大きな声を出していた。
蛇田センターに業務を移管していた、センターと湊センターは石巻湾近くの建屋に同居している。津波の被害を受け、がれきと泥だらけになったが、社員が自分たちで片付け4月1日に営業を再開。窓もトビラも失い屋根だけになった建屋だから、昼の間に作業を終え、残る荷物は移さなければならないが、「蛇田で続けていれば荷物はたまる一方。引き取りをお願いしても、取りに来られないお客様も多い。全国の方の思いがこもった荷物だから、やはり届けなければダメ。どのセンターもなんとかして配達しようと工夫している」(阿部浩・石巻支店長)。
渡波、湊、雄勝、女川の4センターを統括する横山正直・石巻東支店長は、配達作業中に津波にあい、行方不明になった一人のドライバーを探し、毎日遺体安置所を巡った。渡波・湊センターにはそのドライバーが乗っていた車両が残されていた。
現場主導で本社追認
ヤマトの面白いところは、以上のような取り組みが、すべて現場主導のボトムアップでなされている点だ。本社対策本部を率いた岡村正・経営戦略部長と成井隆太郎・メール便営業部長はこう述解する。
「3月21日に宅急便を再開したが、本社側では本当に再開できるのかとむしろ心配していた。被災地の店舗を統括する立場にあった東北支社長が、現場の意見を吸い上げて『できる』と言ってくれたから再開できた。気仙沼などで始まっていた救援物資の配送業務も、本社側は当初把握していなかった。現場から声が届いて、それなら会社として応援しなければ、となった」
震災当初、ヤマトをもっとも苦しめていたのは燃料不足だった。被災地までの荷物の配送に必要な燃料はあらゆる手段を動員して本社側で手配したが、問題は社員がセンターまで出勤するのに必要なガソリンがないことだった。いくら持ち込み・引き渡し形式であっても社員がいなければ再開できない。
「現場で交番を組み、休みや非番の人がガソリンスタンドに並び、出勤する社員の送迎をするという仕組みを作ってくれた」(成井部長)。
そして、救援物資の配送を知った岡村部長らは、3月23日に「救援物資輸送協力隊」を組織化。本社の社員を岩手、宮城、福島に1名ずつ送り込み、「隊長」として指揮させた。本業復旧、協力隊あわせて応援部隊400名、車検寸前の車両200台を被災地に送ったという。
インフラを手がける企業はトップダウンの傾向が強い。ヤマトの「現場力」は他の企業にとって大いに参考になるだろう。
◇WEDGE REPORT 「インフラ復旧 危機対応の物語」
(1) ヤマト運輸
(2) NTTドコモ・NTT東日本
(3) 仙台市ガス局・日本ガス協会
(4) 東北電力
(5) 東日本旅客鉄道
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