釜石市内にある岩手県の出先機関には災害対策本部が設けられ、自衛隊に加え県や市、警察、消防などの担当者が毎日夕方に集まり、市内の状況の報告や翌日の活動予定を話し合う会議を開いていた。会議のメンバーでもある和田松男消防団長は、自衛隊がもつ情報量に圧倒されたという。「我々には地元の消防団という強みがあるはずだが、あそこまで細かな情報は集められない。自衛隊の情報をもとに各機関が具体的な活動をすり合わせて決めることが多い」と説明してくれた。
3年前の訓練が 活動の基礎となった
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東日本大震災で自衛隊がすみやかに活動を展開できた理由には、3年前に岩手・宮城の両県で大規模な津波災害を想定した訓練を実施し、対処能力を高めていたことが挙げられる。
「みちのくALERT(アラート)2008」と呼ばれるこの訓練は、政府の地震調査研究推進本部が今後30年以内に宮城県沖地震が発生する確率を99%と評価したことを受けて、「マグニチュード8.0の地震が宮城県沖で起き、三陸沿岸に津波が襲来し、多数の死傷者が出た」との設定で実施された。訓練を行った地域は今回の震災で大きな被害を受けた市町村とほぼ同じ(右の地図参照)。自衛隊だけでなく、宮城県と岩手県、三陸沿岸の市町村、それに警察、消防、さらに地元住民など、約1万8000人が参加する大規模なものだった。
陸上自衛隊の各部隊はそれぞれ担当する市町村を受け持ち、訓練の出動命令を受けると、まず、道路状況を確認しながら、現地に向かった。到着した市町村では公園などに活動拠点を構築した上で、自治体や警察、消防などと協力しながらがれきの中から住民を救助したりヘリで住民を搬送したりする訓練のほか、孤立した集落に海上自衛隊の艦船を使って給水車両を運ぶ訓練などを行った。
隊員らにはあらかじめ訓練内容が細かく伝えられることはなく、司令部から「津波の発生」や「家屋が倒壊した」などの情報が逐次、部隊に伝えられ、状況に応じた対応が求められる実践的なものとなった。
訓練で各部隊が担当した市町村は、訓練後もそのまま実際に災害が発生した場合の出動先として割り振られた。第21普通科連隊の場合、訓練後も毎年、釜石市を訪れ、津波が起きた場合に孤立する恐れのある集落の位置を確認したり、市の担当者と会合をもって人的つながりを築いたりして備えてきた。
実際の震災での被害は、訓練の想定をはるかに上回ったが、「想定外」への対応力も訓練の賜物だ。地震翌日に釜石市に入った第21普通科連隊は訓練で部隊の拠点を置いた市内の平田総合運動公園を目指したが、市内中心部を通る国道283号線が津波で流されたがれきで寸断され、公園に向かうことができない。市の対策本部とすぐに協議して内陸部にある甲子中学校に拠点を変更することを決め、部隊の活動に支障が出ないようにすることができた。
第21普通科連隊の蛭川利幸連隊長は、「訓練によって個々の隊員の災害に対する対処のしかたや装備を使いこなすスキル、さらにヘッドクォーターの指揮能力を高めることができたほか、自治体と一緒に訓練をしたことで、いざというときの協力関係を強めることもできた」と、訓練が基礎となって、想定外の事態に対する応用力を持つことができたと強調した。
装備、情報、権限 どれも現場にない
津波の被害では自衛隊の速やかな対応が際立ったが、福島第一原発の事故をめぐっては対応のまずさばかりが伝えられる。