燃料棒を冷却するための放水作業の遅れや、作業員の被曝、放射能で汚染された水の流出などの問題が次々と起きる混乱ぶりは今さら指摘するまでもないだろう。未曾有の大震災にあっても冷静さを失わないと日本人を賞賛していた各国も、原発事故の対応には不信の目を向けている。
この事故でも中心となって対応にあたっているのは自衛隊だ。現地では「現地調整所」と呼ばれる前線本部が福島第一原発から20キロほど離れた楢葉町にあるサッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」に置かれている。ここで陸上自衛隊中央即応集団の田浦正人副司令官が、作業にあたる自衛隊や消防、東京電力の関係者などを統制しながら対応の指揮を執っている。
現場の主力は陸上自衛隊のなかでも核兵器や生物兵器、化学兵器による攻撃を受けた場合に対応する中央特殊武器防護隊など500人ほどの自衛隊員たちだ。中央特殊武器防護隊は核攻撃を受けるなどして放射能汚染された地域に入り活動をする能力をもつが、本来、人命の救助や放射能の除染などが任務。陸上自衛隊の中部方面総監だった松島悠佐・防衛システム研究所代表取締役は、「今回のような大規模な原発事故を想定した装備は持っておらず、隊員らの士気の高さでカバーしている状況ではないか」と指摘する。
取材に応じた防衛省関係者はこのほかにも、現場の部隊に十分な情報が届いていないことを問題として挙げる。自衛隊や消防による放水活動の開始が遅れたのも、原発の詳細な図面のほか、放射線の濃度がどの場所でどの程度なのか、がれきはどれくらいあるのか、などの必要な情報が提供されず、準備作業が難航したためだという。「迅速かつ的確な情報の提供こそ作戦の成否を決めるカギ。情報もないのに作戦を遂行しろというのは無茶な要求だ」。
さらに、刻々と変化する事態に臨機応変に対応するためには、現場の指揮官に十分な権限を与えることが欠かせない。防衛省関係者は、「放水作業ひとつとっても官邸の許可がなければ始められない。これでは意思決定に時間がかかり過ぎてしまう」とこぼす。
チェルノブイリ原発の事故で処理チームを率い、福島第一原発の事故を受けて日本政府にアドバイスするために訪日していたロシアの原子力専門家のウラジーミル・アスモロフ氏は、3月21日付ロシア紙「イズベスチヤ」で、「問題を検討する場所が現場から離れれば離れるほど、決定が遅くなり状況が悪化する。『権限をもつ危機管理の責任者が東京ではなく実際の現場で指揮を執るべき』ということが日本政府への最も大切な提言だ」と指摘している。
現場では装備も情報も、そして権限もないままの作業が強いられている。自衛隊がこうした事態に追い込まれたのは、津波とは異なり、関係者間で十分な備えをしてこなかったからだ。
最悪事態を想定した訓練ができない理由
「大規模な原発事故を想定し、部隊編成、装備面はどうあるべきか、事前に考えるべきだった」「最悪の事態を想定し、緊急時に自衛隊として何ができるのか、予め対応マニュアルを作成したかった」─。複数の元陸上自衛隊幹部は、悔しさを滲ませながらこう語った。彼らは現役時代、周辺地域に放射性物質が飛散し続ける「最悪の事態」を想定した訓練の実施と自衛隊としてのマニュアルづくりに協力してほしいと、非公式の会合などで電力会社や地元自治体の首長に提案していた。ところが「そうした要望が実現されることは1度もなかった」という。
消極的だったのは、電力会社や首長だけではない。原発の安全規制の考え方を決定し、首相にも助言できるなど、強力な権限を持つ原子力安全委員会も同様だ。かつて同委員会原子力施設等防災専門部会委員を務め、災害情報論が専門の吉井博明・東京経済大学教授はその時の状況をこう振り返る。