「今回のような事故が起こった時、どのような事態になり、被害をどう最小限に食い止めるのか。原子力安全委員会として、こうした被害想定をすべきだと部会で提案しても、事務局は無反応。次の会議では話題にすらならなかった。まるで“そんなことは絶対に起きない”かのような対応だった」
原発が人間の手によって制御することが困難になった場合、それは即「国家レベルの危機」となる。今回の事態について東電広報部は「もはや一民間企業が対応できるレベルではなくなっており、現在、国や自治体と連携して対応に当たっている」と釈明するが、なぜ、自衛隊側の要請を踏まえ、最悪の事態を想定した訓練をすることができなかったのか。元陸自幹部はこう断言する。「原発は絶対安全が前提条件。最悪の事態を想定した訓練の実施は、その前提を覆すことになる。そのため、住民や反対派の突き上げを恐れる電力会社や首長、国がそうした提案を受け入れることは極めて困難だ」
JCO臨界事故の 教訓は活かされたか
原発事故を想定した法整備や対処マニュアルが全くないわけではない。
転機となったのは1999年9月30日、茨城県東海村のジェー・シー・オー(JCO)のウラン加工工場で発生した日本初の臨界事故だ。この時、従業員だけでなく、多くの周辺住民が被曝し、半径350メートルの避難要請などが行われた。
この事故を機に、原子力の安全性が改めて議論され、原子力災害対策特別措置法が2000年6月に施行。緊急事態が発生した場合には、首相を本部長とする「原子力災害対策本部」を設置することや事業者責務が明確化された。また、関係省庁や自治体、事業者が連携を図り、対策を協議する「緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)」も全国で22カ所設置されるなど、官民挙げての対策が進んだ。
訓練を行うことも義務付けられた。原発が立地している13道県を中心に、経済産業省や警察、消防、自衛隊、電力会社などが参加し、年に1度は実施している。だが、取材班が調査した12市町村では、事故の想定はあくまでも一時的な放射能漏れなどであり、何十日間も放射能が漏れ続ける想定にはなっていない。自衛隊の役割もあくまで住民の避難誘導や物資輸送、交通規制などに限られる。つまり、今回のように自衛隊が事態の鎮静化にあたるようなマニュアルは存在していないのが現実なのだ。
東電は「マニュアルが全くないわけではなく、原子力災害対策特別措置法第15条に基づく緊急時の国への通報マニュアルはあった」、自治体は「法令で定められた訓練はしていた」と言うが、元陸自幹部らが想定したレベルとは大きな差があったことは否めない。
今回の事故の背景には、原子力村の〝絶対安全神話〟があることは間違いなさそうだ。前出の吉井氏は語る。
「事前にすべての災害パターンを想定することは不可能。それゆえ、最悪の事態に直面した際に対応できるよう、基礎となる訓練を積み重ねることが肝要だ。また、今回の原発事故のように、自然災害によって引き起こされる技術災害への対応も今後は必要だ。現代社会の生活を維持していくためには、リスクと真摯に向き合うことが重要だ」
今もなお、現場作業員らの必死の作業が続く福島第一原発。だが、自衛隊のヘリからの放水が象徴的だったように「戦略の瑕疵を戦術でカバーしている」(防衛省関係者)のが現実だろう。志方俊之・帝京大学教授は言う。「100年に1度の備えをしても200年に1度は明日やってくるかもしれない。日頃からそうした心構えと準備が必要だ」。東日本大震災は想定外の原発事故をもたらした。だが、放射能が漏れ続ける事態をタブー視せず、その解決には自衛隊が大きな役割を担うという前提で訓練していたら、たとえ訓練の想定を上回る規模の事故が起きても、ハード・ソフト両面で対応の基礎となる力は培われていたはずだ。
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