明治の反知性主義が見た中国

2019年8月31日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 ちなみに高級官僚希望者が「無用の学問に脳醤を絞り尽く」して立ち向かった科挙試験は、1905(明治38=光緒31)年に廃止されている。

 新設された最高学府の京師大学堂では、日本から送り込まれた「巖谷博士、服部博士、其の他二三の学士等」が「清国人民の為に、新文明の父母」たらんとして教鞭を執っていた。だが欧米諸国は、「清国人民の為に、新文明の父母」を目指したわけではない。

偽善者を製造するの機関

 「米人の滙文書院、仏人の法文学堂などは、其の設立年月の久しき丈に、其の設備も比較的に整ふてゐる……(中略)……無資勉学の便を目的とする学生を誘致して、偽善者を製造するの機関となるの憂がないでもない」という。

 アメリカ人やフランス人が経営する学校は優れた設備を持ち、勉学意欲に富んだ学生を募り学資と勉学の機会を与え、「偽善者」、つまりアメリカやフランスのために働く清国人を養成する方向に進んでいる。これを今風に言い換えるなら、ソフト・パワーに依って清国人を清国攻略の先兵に改造しているということだろう。そこで隣国国民である高瀬が「憂」を抱くことは当然だとは思う。だが欧米列強は「清国人民の為に、新文明の父母」たらんことを願って学校経営に努めていたわけではないのだから、切歯扼腕したところでヌカにクギといったところだろう。

 その後の歩みを考えた時、たとえばアメリカ人経営の学校で「製造」された多くの「偽善者」が米中関係を支える一方で、アメリカにおける日本批判、中国における反日・親米風潮の醸成に少なからざる役割を果たした点は、やはり忘れるべきではない。清国利権拡大の柱としての教育行政の真の狙いは、やはり「偽善者」の「製造」にありこそすれ、遅れた民衆の教化などにはない。徹底した利害打算こそが中国に進出する欧米列強の根底にあった。日本人のように情緒的ではないのだ。

 いわば他人の家に土足でドカドカと乗り込んできて身ぐるみを引っ剥がして持ち去った悪党に手を貸すだけではなく、深く感謝するような従順で素直なインテリを育て上げることこそが、欧米列強の清国における学校経営の真の狙いだったはずだ。

 高瀬は「東北西に手を拡げて、之を一握せんとする露国」、「東方に立脚地を定めて、山東の大半島を割有せんとする独逸」、「中部以南の沃野千里、その富を竊取せんとする英仏」を前にして、「清國は早晩滅亡を免れざるなり」と警告する。それというのも清国は国家ではなく、「精密なる国家の定義を以てすれば」、「唯旧慣固結して神経遅鈍、利己の念盛にして腐敗壊乱せる四億の人民あるのみ」だからである。

 たしかに近年になって近代化政策を進め、「一見清国の覚醒を意味するが如く」ではある。だが実際に現地を歩いてみると、「慷慨国事を談ずるもの」も「誠心誠意家国の憂を以てわが憂となすもの」も見当たらない。改革を掲げながら、結果として「数多の属国民とな」り果てている。やはり「彼等の頑夢は頑として醒めざるなり」としかいいようはない。

 いまや「世界に文明の大潮流あり」。「その物質的なると、精神的なるとを問はず、世界を」覆い尽くす勢いだ。日本は「此の潮流に接触するや、直ちに之を汲み、之を注いで国家を一洗し」、新しい国作りに成功し「世界の舞台に突進しつつあり」。

 そこで、「隣国の支那は如何」となった。

 「その知覚神経は、文明の大潮流を感知する程に鋭敏なら」ず。そのうえ「彼等は阿片煙の如く有毒なる文明固有の保守剤を飲んで、今に頑夢を楽みつゝあるなり」。亡国の瀬戸際にあることを知ったとしても、「損得の外には多くの痛痒を感」じない。そればかりか「平々然として、遊惰逸楽に耽り徒に肉慾を貪りつゝある」ばかり。「誰か支那人を勤勉の人民なりといふ」と疑問を呈す。彼らは決して「勤勉の人民」ではないだろうに。

 高瀬の経験によれば、彼らは「利を示す時勤勉なるが如く見ゆる」ばかり。国家存亡の緊急事態であるにもかかわらず「急がず、迫らず悠々安閑たる」様子は、たしかに「根気強しとも」いえる。かつて西洋人が「不品行なる病人」と形容したように、彼らは「(精神の)病に次ぐに不品行を以てす」るわけだから、「その治し難きや当然のことゝいふべきなり」。

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