明治の反知性主義が見た中国

2019年8月31日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 だが「支那啓発のことは全然望」みがないわけではない。「支那人もまた人間」であり「人間本来の真」があるはずだから、「世界を同胞とする至大博愛の心を以て」、忍耐のうえに忍耐を重ね教え導けば、やがて「彼等を伴ふて、世界と共に文明の大道を歩むに至らしめ」ることができるだろう。

国家百年の憂を残す

 だから、今こそ「支那人民を精神的に啓発して、世界文明の好伴侶」とする絶好機であり、「わが国民が支那に向つて大に活動すべきは、今の時を以て最も急なり」。「今にして支那に於ける我国の経営を怠り、利権を失墜するに至らば、必ず国家百年の憂を残す」。

 たしかに財政的にも苦しいが、日本は「上下一致心を此処に注ぎ、(中略)大いに国民の対外心を奮起せしめ」るべきだとした後、現状のように「手緩き」ままの状態では「露、独、仏の三国」に遅れをとってしまう。だから「学校経営」「宗教伝道」「満洲移民」「鉄道敷設」「鉱山開掘」「製造所設立」「航海運搬業の拡張」「日清銀行設立」などに鋭意務めよと力説する。

 高瀬は「支那人民を精神的に啓発して、世界文明の好伴侶たらしめんとする教育家、宗教家」に向って、「清国に於て、大いに訓化の為めに力を尽さんは、困難と雖(いえど)も、今の時を以て最好の時」だと訴え、いまこそ可能な限りに力を注がなければ、「他日各国の国旗の東西南北に翩翻(へんぽん)たらん時、遂にその力を尽すべき道なきに至らん」と忠告する。

 さらに政治家、実業家を含む「諸般の事業を経営して、大に支那に於ける我国の利権を獲得せんとする人々」に対して、「わが国民が支那に向つて大に活動すべきは、今の時を以て最も急なり」と力説する。それというのも、「露、独、仏の三国」は日本人の想定を遥かに超えた速度と深度で清国に食い込んでいるからである。

 「支那人民を精神的に啓発して、世界文明の好伴侶たらしめん」ためにも、いまこそ力を尽くさなければ、いずれ中国は西欧列強に分断されてしまう。日本の「教育家、宗教家」が掲げるアジアを一つにして西欧に対するという遠大な理想は絵に描いたモチに終わる。このままノンベンダラリと「諸般の事業を経営し」ていたなら、猛然・狡猾に進出している西欧列強の前では「支那に於ける我国の利権を獲得」することなどは無理ということになる。

 はたして高瀬は、「支那人民を精神的に啓発して、世界文明の好伴侶たらしめん」ことを目指したのか。西欧列強に伍して「諸般の事業を経営して、大に支那に於ける我国の利権を獲得」することを狙っていたのか。それとも両者を併せたものなのか。

 ここで改めて「今や北京は殆んど世界外交の中心であるかの観がある。少なくとも日本外交の中心点は北京である。若しわが日本が、北京外交の舞台に於て敗を取ることがあるならば、大日本の理想は遂に一個の空想に過ぎない」との一節を思い起こす。

 時は日露戦争前夜であり、「今や北京は殆んど世界外交の中心」だった。「少なくとも日本外交の中心点は北京であ」った。それから現在までの1世紀余の時の流れを振り返るなら、「若しわが日本が、北京外交の舞台に於て敗を取ることがあるならば、大日本の理想は遂に一個の空想に過ぎない」との高瀬の予言は、悲しい話だが見事に的中したといえるだろう。 

 そこで改めて考える。「遂に一個の空想」に終わってしまった「大日本の理想」とは、いったい、なんだったのか。

◆引用は高瀬敏德『北清見聞録』(金港堂書籍 明治37年)に依った。なお高瀬の生没年は共に不詳。熊本生まれ。熊本洋学校を経て、京都の同志社で「欧米日進の学」を講じ、「北京東文学社教官」に招聘されたようだ。高瀬の願いは清国を救うこと、それに清国の現状を日本国民に周知することであった――これが『北清見聞録』から浮かんだ高瀬の人物像である。

  
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