掛け値なしの義侠心から解放軍に立ち向かった無名の「街頭の勇士」たち
書名に記された「銃弾」は天安門事件に際して人民解放軍兵士の銃口から撃ち出された銃弾を、「アヘン」は事件後に鄧小平から発せられた「南巡講話」を転機に国を挙げて突入していった金権万能社会を支配する金銭欲を象徴する。
「「六四天安門事件」生と死の記憶」のサブタイトルを持つ本書は、「六四大虐殺以前、私は伝統に反する詩人だった」と自らを語る廖亦武が「反革命宣伝煽動罪で懲役四年」の刑を終えて後、いわれなき罪によって強引に牢獄に閉じ込められ、人生の大半を失ってしまった市井の人々を訪ね歩きインタビューを重ね、事件に対するする心の裡を問い質し、彼らに思いの丈を語らせた証言録である。
廖亦武に向かって苦衷を語る人々は、天安門広場で民主化運動をリードし内外メディアから注目を浴び、「芸能界の有名人気取りだった」柴玲のような民主化スターでも、当局による「大虐殺」が始まったら「脱兎のごとく走り去った」「国内外の六四エリート」でも、ましてや「肝心な時にチェーンが外れて動けなくなる自転車みたいな」知識人でもない。掛け値なしの義侠心と正義感から解放軍に立ち向かった無名の「街頭の勇士」たちだ。
当局と衝突し嫌がらせを受け、尾行者とイタチごっこ繰り返し、社会の冷たい目に耐えながら市井に暮らす証言者は16人ほど。彼らの紆余曲折の人生を知るほどに伝わってくるのは、「共産党は本当にあっという間に人を殺す」ことに対する憤怒と恐怖だ。以下、興味深い証言を拾っておく。
「(あの時)中国人は民主という大きな夢を見ていたんだ」
「(運動は)私たちにとってはカーニバルだったな、独裁政府が人民大衆の大海に沈んだんだから」
「六四の主体となったのは何千何万にのぼる暴徒たちだった」
「共産党の統治である限り、反抗の帰結はすなわち流血なのだ」
「学生や文人が、瞬き一つせずに人を殺せる熟練した政治屋と争ってどうして勝てる?」
「(刑期を終えた後の不遇を)おれも恨まないよ。こういうことになったのはほかでもなく、改革開放で利益と欲に目がくらみ、魂を売って道義を忘れ、みんなが腐敗に憧れる新時代に乗った中国人のおれたちなんだもの」
「絶対多数の中国人は、一生騙されて、声を呑み込んで我慢し、妻を寝取られた男みたいに暮らしている」
「捕まったことがなかったから、プロレタリア独裁がどれほどすごいかわからなかったんだ」
――もちろん鄧小平の時代と現在の香港とは違う。だが『銃弾とアヘン』の行間から滲み出す憤怒・悔恨・憎悪・諦念に似た感情は、やがて“戦い済んで日が暮れた香港”にも漂うことになるに違いない。
いま我が国メディアから聞こえてくる声の大部分は、今回の混乱を善と悪とに分けて論じようとする。もちろん「善」は香港の民主化と自由のために戦う若者であり街頭で声を上げる圧倒的多数の「無告の民」。対する「悪」は強権独裁政府――中央の共産党政権と傀儡の香港政府――である。
だが、現実を冷静に見つめるなら、香港社会は善悪二元論で語り尽くせるほどに単純ではない。