新しい社会矛盾
いま香港社会の基本構造は、政治(中央政府+香港政府)、経済(巨大不動産開発業者を中心とする大企業家)、それに民意(一般住民)の3者によって成り立っていると捉えることができる。だが、この3者の利害は必ずしも一致しているわけではなく、これまでの経緯からして同一歩調を取ることは至難と言える。
加えて民意もまた一元化しているわけではないところに、新しい社会矛盾が潜んでいる。返還後に中国本土から移住してきた合法・非合法の人々が社会の底辺に置かれ、従来からの住民の生活を下支えしているのだ。
敢えて誤解を恐れずに表現するなら、中国本土からやって来て傍若無人な振る舞いを見せる金満中国人を、従来からの香港住民は「怨嗟」と「軽蔑」の目で見る。一方、新たに中国から移り住み3K(きつい・汚い・危険)職場で働く人々を「軽蔑」し「嫌悪」する。かくして特別行政区香港で「怨嗟」と「軽蔑」と「嫌悪」が交錯し、人々の心をささくれ立たせる。これが国際金融センターとして繁栄を誇る香港社会の実態なのだ。
こういった複雑な感情が渦巻く社会ではあったが、これまでは政治と経済とが手を組み、香港を“金の卵を産む鶏”のまましておこうという強固な意思が働き、民意を押さえ込んでいた。2014年の「雨傘革命」を挫折させたのも、「政治+経済>民意」という図式が機能したからである。
「雨傘革命」において学生が香港の主要道路の封鎖に動いた数日前の9月23日、香港の企業家は「香港首富」とも「李超人」とも呼ばれる李嘉誠(長江実業集団・和記黄埔集団)を団長とする香港工商専業訪京団を組織し、北京で待つ習近平国家主席の膝下に馳せ参じる。総勢70人余。先導役は全国政治協商会議副主席の董建華(初代行政長官)が務めた。
習近平国家主席は、当時の中国政府の香港問題実務責任者――張徳江(全人代常務委員会委員長)、李源朝(国家副主席)、栗戦書(中共中央弁公室主任)、楊潔篪(外交担当国務委員)、王光亜(国務院港澳弁公室主任)、張曉明(中央人民政府駐香港特別行政区聯絡弁公室主任)、李飛(全人代常務委員会副委員長)ら――を従え一行の前に立ち、「一国両制」の下で法治を貫徹すると言明した。学生らの民主化運動は断固として許さず、である。この習近平国家主席の対応に、香港工商専業訪京団は“教順の意”を示したのである。
じつは香港工商専業訪京団のメンバーが経営する企業は金融・流通・港湾・海運・輸送・製造・衛星・通信・航空・IT・観光・メディア・農業・電気・ガス・バス・地下鉄・路面電車・フェリー、さらにはマカオのカジノなど、香港における経済活動全般に及び、その株価総額を『CAPITAL 資本雑誌』(2014年10月号)は香港の全上場企業全体の3分の2前後を占めると報じた。これだけでも、その影響力のほどが判ろうというものだ。
彼らの巨大ビジネスの原資こそ政府が管轄する土地である。
香港の土地は公有であり、政府が土地の使用権を競売に付す。形式的には誰にでも入札の機会はあるが、落札するには莫大な資金を用意しなければならない。そこで応札可能家族(=業者)は李嘉誠ら6大家族に加え、その周辺の新旧20家族ほど――総計で30にも満たない資産家ファミリーに限られてしまう。彼ら一握りの財閥が政府払い下げの「地産」を抑え、「地産」を元手に経済を支配し、とどのつまり香港の「覇権」を握るというカラクリである。これを「地産覇権」とも、時に「財閥治港」とも呼ぶ。
振りかえると、香港返還が中英両国間で外交案件として具体化しはじめた80年代初頭以降、香港の将来に不安を抱く企業家は団体を組織して北京詣でを繰り返し、中央政府の意向を探ってきた。そういった席で鄧小平は「一国両制」「香港の繁栄の維持」「香港制度の50年間不変」を語り、香港の有力企業家の支持を取り付けていたのだ。
鄧小平以後の指導者も同じ手法を使った。まさに「政治+経済>民意」の構図維持に腐心し、香港を“金の卵を産む鶏”のままに維持してきた。まさに民意を押さえつけての政治と経済の合意に基づいた「双嬴(ウイン・ウイン)関係」である。
だが事態がここまで紛糾し、収拾の糸口すらみえない点から考え、どうやら今回は「政治+経済>民意」の関係が構築できなかった。あるいは「雨傘革命」の時とは違い、経済が政治の要請に応じなかったとも考えられるとはいえ経済が政治から大きく離れ、民意の側に一歩足を踏み出したと考えるのは早計に過ぎる。やはり政治と経済と民意の3者が三竦み状態のまま、互いに相手の出方を探っているのではなかろうか。
やがて興奮から醒めた後、“金の卵を産む鶏”としての香港社会の内部構造――香港が背負ってきた歴史と社会構造――に目を向ける若者が出て来るだろう。香港だけでは香港に変化をもたらすことは容易ではないことを知る時が来るはずだ。
「我々は歴史から教訓を学び取る能力はあるが、教訓に依って歴史を動かす技術は未熟であり、それは(中略)現在も変わらない」(三上真彦『わがままいっぱい名取洋之助』ちくま文庫 1992年)
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