2022年8月18日(木)

明治の反知性主義が見た中国

2019年10月5日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

湖南省と清朝政府はイギリス・ドイツ両国による砲艦外交の前に屈服

 「各国敢然とその罪を問ひ、英独二国は河川砲艦」を湖南省内に差し向け威嚇し、北京の清朝政府を厳しく叱責し、罪を償うことを認めさせた。湖南省と清朝政府はイギリス・ドイツ両国による砲艦外交の前に屈服せざるを得なかった。

 加えて「日清通商条約に由り長沙の開港せらるゝあり、又日本及英国航海業者の汽船の航通をこゝに開始するあり」。そこで絶好機を捉え、「数十年來排斥阻遏せられたる各国宣教師等は、凱歌を奏して一時に侵入し来れり」。かくして「今や彼等は長沙を根據として盛に其事業を経営しつゝあり」。とはいえ湖南省である。簡単に「其事業を経営」できたわけでもなさそうだ。

 「各国宣教師等は、凱歌を奏して一時に侵入し来」た結果、「省内六十三県中、一県を除くの外は各県皆一人の宣教師を有す」るようになった。とはいえ「湖南に入る宣教師の何れも小心翼々」として布教は手探り状態である。勝手気まま布教ができたわけでなく、「湖南人を以て支那人種中の卓越したるものとなし、各自の挙動に格別なる注意を払」わなければならない。こういった姿は「事実として注目の値あり」。やはり湖南人は、自らに備わる「土風古にして世利に淡く、慷慨節を尚ひ不義を為すを耻づ」といった生き方に忠実だったようだ。

 安井は、布教活動の中でも特に「一九〇四年漢口に於て開会せる中央支那宗教出版協会」に注目した。

 その名前からも判るように「宗教出版事業の成績を報告せるに過ぎざれども」、この集まりから「如何に彼等が熱心、耐忍、屈辱、困難と闘ひて、伝道に従事せるかを知る」ことが出来るというのだ。

 それというのも宣教師は「進むあつて退くことを知らず、十年斯の如く、二十年斯の如く、三十年五十年復斯の如く、努むるを知て倦むことを知ら」ない。そればかりかキリスト教各派の別はあるが、布教に関しては「整然として一致している」。こういった状況を見せつけられるにつけ、「吾人本邦人の短処と相対して、感服の外なし」である。

 いわば「進むあつて退くことを知らず、十年斯の如く、二十年斯の如く、三十年五十年復斯の如く、努むるを知て倦むことを知らず」という姿勢に欠けることが、「本邦人の短処」だ。対外関係を考えてみた時、この安井の指摘は現在にも通じるように思う。

 ここで中央支那宗教出版協会の報告のうちの興味深そうなものを、いくつか拾っておく。

  • 「聖書及び新訳全書」を中心とする多くのキリスト教印刷物に対し「地方官吏及人民一般に好意を表し」、かつて考えられないような規模で販路が拡大している。「研究者の数は次第に増加し、この結果として地方教会堂設立を見るに至れり」。かくして「今後格別の障礙なくんば今より十年の内には異常なる発展を見るべきを得るが如し」。
  • 「(西洋人宣教師が)昔時は単独に従事せしも今日は尽く基督教信徒たる土人と相合して普及に勉むるに至りたる」からこそ、「基督教普及に偉大の効果ある」。
  • 「(キリスト教にとって)支那は最も好望の地にして、現今風雲の暗澹たるもの」があるが、「光輝ある将来を有する」。「今や各国の視線は支那に集注して、時局頗る切迫」していて、伝道事業に障害となるかも知れない。だが、「此老大国も漸く巨人の醒むるか如く」である。日本のようには短時間で「長足の進歩を為せし如きを学ぶ」ことは望み薄だが、これまでのように眠りこけているわけではない。
  • 彼らの蒙を啓き「眼を開て四隅を顧みしむるは書籍により開発するに如くなし」。だが「支那国民は読書人種」を称してはいるが、じつは「読書力浅薄にして能く文書を了解するもの甚た少なし」。そのうえ変動止まない政治状況が災いし、近代文明は日本経由に頼るしかない。だからキリスト教布教のための「宗教上の出版物に多少地理歴史的材料を加味して宗教の起因せる処を明かにし、同時に一般教科書に宗教的分子を含有せしむるの必要」がある。キリスト教伝道に合わせて近代的な基礎知識を教えるべきだ。
  • 「露国の行動は或は日本と于(「干」の誤り?)戈を交ゆる原因たることあらん従て支那は此禍乱の裡に没せられて伝道事業を一時杜絶せらるる」の可能性は高い。だが「年と共に漸次歩を進め屈せず、撓まずんば効果期して擧ぐるを得べし」。

 ――1904年に漢口に集まった「中央支那宗教出版協会」関係者の発言から、中国におけるキリスト教の将来を極めて楽観視していることが見て取れる。

 それしても早くからロシアの行動が日露戦争を誘発し、キリスト教伝道にとってのマイナス要因となることを危惧していたとは、彼らの高いインテリジェンス能力に改めて感心せざるを得ない。彼らは宣教師であると同時に優れたインテリジェンス要員でもあったわけだ。

 この集まりに参加した宣教師の中には、「五十年の支那に於ける生活」を振り返り、「今日の状態は実に欣躍に堪へさるを説」く者もいたという。19世紀初めの時点で「五十年の支那に於ける生活」ということだから、その宣教師が中国にやってきたのは1840年のアヘン戦争から10年ほどが過ぎた頃と考えられる。

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