インド事業などは、決断が奏功した最大の成功事例だろう。逆に、思惑が大きく狂ったのはGMだった。四半世紀にわたり蜜月は続いたものの、リーマンショックを経てGMの経営は破たんへと向かってしまう。09年に提携を解消し、同年年末に独VWと資本提携を発表する。VWはスズキにとって二度目の結婚相手だった。
直後の10年の年明け、修氏は筆者に次のように話した。
「GMは、大らかなアメリカ人のオジサンだった。『好きなようにやっていい』と自由にさせてくれたから、スズキは大きく飛躍できたんだ。ただし、大らかなオジサンは遠くに出掛けたまま、帰ってはこなかった。一方、VWは厳格なドイツ人のオジサンだろうな。身持ちが堅い。ただし、厳しいだけにスズキを自由にさせてはくれないはず。GMと違い、つきあい方は難しくなる」
この言葉が暗示したように、VWとスズキの関係は当初からこじれてしまう。国際仲裁裁判所に持ち込まれ、提携解消ができたのは2015年。GMはスズキの独立性を認めたのに対し、VWはスズキの完全支配を目指した。ルノー・日産の関係もそうだが、資本提携において出資比率の小さい会社が独立性を保持するのは本当に難しい。が、大に呑み込まれないで生き残っていくのは、鈴木修会長の経営手法だ。表現を変えると、スズキの独立性は、修会長というカリスマ経営者の手腕に依存する、といえよう。
自動車変革時代に出せる軽での独自性
3度目の結婚となる、今回のトヨタとの資本提携はどうなっていくのか。
トヨタは大変革の時代を迎え、「仲間作り」を推進。完全子会社化したダイハツ、子会社の日野、資本提携しているスバル、マツダと”陣営”を形成。歴史的にも浅からぬ関係ですでに業務提携していたスズキが新たに入った形だ。
さて、自動運転やシェアリング、次世代の移動サービスMaaSなど、新しい波の“一丁目一番地”となるのは電気自動車(EV)である。しかし、陣営6社はまだEVを商品化もしてはいない。トヨタは来年、商品化するが、ルノー・日産・三菱自工やホンダ・GMなど他のグループと比べて先行している訳ではない。
世界最大の自動車市場である中国では今年から、NEV(新エネルギー車)規制が始まった。中国での生産台数の10%以上を電気自動車(EV)や50キロメートル以上EV走行できるプラグインハイブリッド車(PHV)、燃料電池車(FCV)の新エネ車にするよう義務づける環境規制である。20年には12%に引き上げられる。
トヨタは、これまでパナソニックおよびパナソニックとの合弁に集中していた車載用電池の調達先を、広げていく。世界最大の車載用電池メーカーCATLやBYDと、中国メーカーも含まれる。トヨタ陣営が中国の電池メーカーはもちろん、移動サービスの米ウーバーなどに対し、存在感を示していけるのかは、これからの課題である。生産台数や取引条件だけではなく、陣営各社によって生まれる特色や方向性は、問われていくだろう。従来型の自動車メーカーから「モビリティーカンパニーへの変身」(豊田章男社長)を目指す盟主のトヨタだが、陣営に魅力がなければ、心臓部品である電池の調達さえ難しくなっていく。
もっとも、トヨタと”縁戚”になったスズキにとっての独自性を顕すのは、軽自動車ではないか。
我が国で、自動車税から分離独立して軽自動車税ができたのは1958年。鈴木修氏が、銀行を辞めてスズキに入社したのと同じ年だった(ちなみに、このときには結婚して鈴木家の婿養子になっていた)。以来、60年以上にわたり、軽自動車を育成してきたのは鈴木修氏である。
2018年の軽自動車の販売台数は約192万台(前年比4.4%増)。登録車を合わせた国内自動車販売全体の36.5%を占めた。15年4月に軽増税があり、16年は172万台まで落ち込んだものの、広い室内空間のモデルが主に子育て世代に受けて、その後は回復している。
EVに搭載しているリチウムイオン電池は、エネルギー効率は高い反面、燃焼させる液体燃料と比べればエネルギー密度ははるかに小さい。このため、航続距離を求めない、軽自動車をはじめとする小型車両に向く。トヨタも超小型EVの商品化を目指している。