2024年12月10日(火)

赤坂英一の野球丸

2019年11月5日

 そろそろセ・リーグもパ・リーグに倣ってDH(指名打者)制にするべきか。それとも、野球はあくまでも9人でやる原則を守るべきなのか。日本シリーズで巨人がソフトバンクに初戦から4連敗した今年のシーズンオフ、いま改めてセ・リーグのDH制導入が議論の的になっている。

(Artur Didyk/gettyimages)

 ここ10年、日本シリーズで日本一となったのはセが僅か1回(2012年巨人)、パが7年連続を含む9回(うち6勝がソフトバンク)。今年で15回目を迎えたセ・パ交流戦も、パの1位12回、勝ち越し14度に対して、セは1位3回、セ3度と大きく水を空けられている。

 かくも長らく〝パ高セ低〟が定着している原因を、「DH制にあり」と分析しているセ球団関係者は多い。投手ではなく指名打者が打線に入るパは、攻撃力でセに勝る。また、レギュラーシーズンの公式戦でそういう強力打線と勝負しているパの投手も当然、セ以上のパワーをつける。だから、これだけ〝実力格差〟が広がったのだ、というわけだ。

 そうした中、巨人・原辰徳監督が声を大にしてDH制の採用を訴えた。ソフトバンクに敗れた翌日の10月24日、読売新聞東京本社を訪ね、山口寿一オーナーに今シーズン終了報告を行った直後のことである。

 「(セも)DH制は使うべきだろうね。DH制というのが(あるから)相当、(パに)差をつけられている感じがあるね。ルールの違いとして(DH制に)どういうメリットがあるか。(DH制を導入してない)そういう部分というのは、(セは)何(の理由)をもって立ち止まっている、あるいは(9人野球を)守っているのか。やっぱりレギュラー(選手)は増えたほうがファン、少年たちだっていいと思うしね」

 原監督が最も大きな「差」を感じたのは、ソフトバンクのDHアルフレド・デスパイネの存在だろう。パでは楽天のゼラス・ウィーラーやジャバリ・ブラッシュ、オリックスのステフェン・ロメロなどDH要員として入団している外国人の長距離打者が多い。西武のエルネスト・メヒア、ソフトバンク、オリックス、楽天、ロッテを渡り歩いたウィリー・モー・ペーニャもそうだった。

 巨人はこれまでロッテから李承晩やルイス・クルーズ、ヤクルトからロベルト・ペタジーニやアレックス・ラミレス、中日からアレックス・ゲレーロと次々に外国人スラッガーを引き抜いてきた。ペタジーニ、ラミレス、ゲレーロは守備力に難があったが、セにDH制が導入されれば、彼らのために守備固めの選手をベンチ入りさせる必要もなくなる。

 こう書いたら、いかにも巨人の考えそうなことだと、他球団のファンは鼻白むだろう。そんな巨人主導でセにDH制が持ち込まれるなんて冗談ではない、と憤る向きもあるかもしれない。

 しかし、DH制の効用は、実はそんなコンビニエンスな外国人を使えることだけにあるのではない。打撃力はあっても守備力のない日本人の若手、あるいは肩肘や足腰の衰えで定位置を守り切れなくなったベテランにとっても、DHは格好の〝働き場所〟になり得るのだ。

 その意味でDH制を最も効率よく活用しているのは日本ハムの栗山英樹監督だろう。現大リーグ・エンゼルスの大谷翔平がいるころは、野手としての大谷をDHで起用。大谷がメジャーに移籍してからは、主力の中田翔、ベテランの田中賢介、若手の近藤健介や清宮幸太郎、外国人のオズワルド・アルシアや王柏融(わん・ぼーろん)ら様々な選手の調子や状態を見ながら、DH、一塁、外野の3ポジションで使い回している。

 この起用法で最も大きく打撃力を伸ばしたのが、11年秋のドラフト4位で横浜高校から入団した近藤健介である。当初は捕手として出場していたが、送球する際のスローイングに難点があり、先輩の大野奨太、市川友也らの壁に阻まれてレギュラーを奪えず。大野、市川が出遅れて初の開幕スタメンでマスクをかぶった15年も、先輩たちが復帰したらすぐに正捕手の座を奪い返された。

 ところが、夏場からDHで起用されると、それまで眠っていた打撃の潜在能力が見事に開花。打率3割2分6厘、出塁率4割5厘、8本塁打、60打点、6盗塁と好成績をマークしてこのポジションに定着する。

 17年には47試合目のDeNA戦までの打率が4割1分5厘に達し、開幕戦から打率4割以上を維持した連続試合のパ・リーグ記録を更新した。ちなみに、開幕から46試合まで4割をキープしていた前記録保持者はあの張本勲氏である。

 その後、故障に泣かされた時期もあったが、近藤はいまや立派にクリーンアップに定着。19年は主に外野を守り、打率3割2厘、59打点、2本塁打をマークした。リーグ最高の105四球、出塁率4割2分2厘という数字は、栗山監督のDH起用によって磨かれた選球眼の賜物だろう。

 その一方、ベテランになって外野の定位置から外れ、DHに活路を見出したのが、西武の栗山巧である。01年のドラフト4位で育英高校から入団した彼は、08年に2番・レフトでレギュラーの一角に定着。バントをしない攻撃的2番打者として167安打を打ち、1番・片岡治大とシーズン最多安打のタイトルを分け合った。この年は優勝と日本一にも貢献し、ベストナインにも選ばれている。

 その後、外野のレギュラーとして10、11,13、14年と144試合にフル出場。10年には2度目のベストナインに加え、守備の個人タイトル・ゴールデングラブ賞も初受賞した。が、17年から故障がちになり、外野守備での肩の衰えも指摘され始め、徐々にベンチへと追いやられていく。守備力で栗山に勝る外崎修汰、金子侑司らの台頭も、栗山が控えに回された大きな要因だった。

 それでも、栗山は当時、こう言っていた。

 「ぼくを使ってみたいと、首脳陣に思わせればいいんですよ。そのためには、もっと野球が上手にならないといけません。いつもそう思って練習しています」

 そう語っていた栗山はやはがてDHで打棒を振るうようになり、18、19年とチームの2連覇に貢献。19年、外野での出場は17試合にとどまったが、DHを務めたのは95試合に上った。8月31日のソフトバンク戦では通算1807安打をマークし、石毛宏典が持っていた球団記録1806安打を更新している。

 今季は1825安打でシーズンを終えており、2000安打達成も視野に入ってきた。ここまできたら、栗山はDHという現役生活2つめのレギュラーポジションをつかんだ、と言っても言い過ぎではない。


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