2024年4月25日(木)

赤坂英一の野球丸

2019年12月3日

旭道山の張り手

 しかし、約四半世紀前の角界には、いまの白鵬よりもっと過激な打撃技を使う日本出身力士がいた。若貴兄弟(若乃花、貴乃花)が人気を博し、曙や武蔵丸ら外国人横綱が隆盛を誇った平成年間初期に活躍した旭道山(最高位・西小結)である。182㎝、107㎏と細身にもかかわらず、張り手一発で上位力士を本場所の土俵で失神させたこともあった。

 旭道山の取組で有名なのは平成4年(1992年)9月、秋場所2日目の武蔵丸戦だろう。武蔵丸に立ち合いから突き押しで攻められると、旭道山は顔面に張り手一発。カウンターでこれを食らった武蔵丸は一瞬、失神状態になり、膝から土俵へ崩れ落ちた。まさにボクシングのKOシーンそのものだった。

 恐らく、旭道山の掌底が武蔵丸の鼻かその下の小中に決まったものと思われる。決まり手は引き落としとされたが、あれほど鮮やかな〝ノックアウト〟は、白鵬の勝ち相撲でも見たことがない。武蔵丸はこのとき、奥歯を1本折られたという。

 当時はこの武蔵丸をはじめ貴闘力、小城ノ鼻、大善、久島海、栃乃和歌(現春日野親方)がよく旭道山の張り手を食らっていた。栃乃和歌は眼球内出血を起こし、「あいつはどういうつもりだ! おかしいんじゃないか!」と支度部屋で激怒したという。そうした〝KOシーン〟の数々は、いまでもYouTubeなどの動画投稿サイトで見ることができる。

 そんな旭道山が張り手を自粛するきっかけになったのが平成5年(1993年)3月、大阪場所13日目の久島海戦。立ち合いで強烈な右の張り手を見舞うと、国技館に響き渡るほどの音がして久島海はうつ伏せにダウン。すぐには自力で立ち上がれず、口から大量の鮮血を吐いた。倒れた際に両膝の靱帯を損傷したことが久島海の三役昇進を阻み、力士生命を縮めたとも言われている。

 この直後、出羽海理事長は旭道山に直接、「敢闘精神は認めるが品格に欠ける」として張り手を自粛するよう通告。部屋の大島親方が相撲協会に呼び出されて注意される事態に至り、旭道山は打撃技を自ら封印。引退するまで禁を破ることはなかった。

 もし横審が白鵬の張り手、かち上げの自粛を望むなら、いまの八角理事長が当時の出羽海理事長と同じくらい断固とした姿勢を示すことが必要だ。ただし、最高位・西小結の旭道山と違い、白鵬は「優勝50回を目指す」と公言している大横綱。旭道山が久島海、栃乃和歌に負わせた、力士生命に影響するほどのケガをさせたわけでもない。従って、「当面は静観するしかない」というのが協会と親方衆の一致した見解である。

 ちなみに、旭道山の所属していた大島部屋は、初めてモンゴル人力士を入門させた部屋でもある。当時、モンゴル人力士第1号の旭鷲山をはじめ、6人を弟弟子として預かったのが旭道山。彼の指導のあまりの厳しさに、一時は6人中5人が脱走し、モンゴル大使館へ逃げ込んでいる。それほど徹底していた旭道山の教育が、現在のモンゴル人力士の隆盛の礎になったとも言えよう。

☆参考資料

サンケイスポーツ『白鵬、張り手一発!朝乃山を脳振とうKO「新三役も来いよ」』(2019年7月2日配信)

日刊スポーツ『白鵬「血管年齢は25歳」北勝富士と友風を圧倒』(同年11月5日配信)

日刊ゲンダイDIGITAL『あの人は今こうしている 焼肉店経営の旭道山和泰 モンゴル横綱誕生の立役者だった』(2014年7月20日配信)

  
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