WTOの紛争解決機能を担う上級委員会が機能を停止し、貿易の世界は無秩序な事態となりうる。WTOの上級委員会(定員は7名であるが、目下在籍するのは3名)のインドと米国の委員が12月10日に任期満了で退任し、残るは中国の委員のみとなる。上級委員会は最低3名の委員により審理が行われる仕組みだから、12月11日にその機能を停止する(進行中の案件は別として)ことになる。これはWTOの紛争解決機能にとって致命的である。というのは、小委員会の段階で負けた側は、麻痺状態の上級委員会に上訴することによって、実質的に敗訴は免れ、問題は宙に浮くことになるからである。
上級委員会が開店休業に追い込まれる直接の原因は、米国が上級委員会の在り方を強く批判し、その委員の補充を拒否しているからであるが、米国の批判に理屈はあり、問題はEUなど相当数の諸国に共有されている様子である。単なる米国のユニラテラリズム(単独主義)の発現というよりは、問題はもう少し根が深い。トランプの多国間機関嫌いの為されることと片付ける訳にも行かない。
米国の批判には数々あるが、最も実質的で解決が難しい批判は、米国が言うところの上級委員会の「judicial overreach(司法的な逸脱)」である。即ち、WTOの定められたルールを無視、逸脱して、紛争解決を探る過程で勝手な解釈を行い、新たなルールを作り出している、という批判である。WTOのルールには明確でない規定もある。理想的には、ルールは定期的に刷新すべきであろうが、ルールが現実に追い付かないのが実情であろう。WTOの交渉の場としての機能が麻痺するに至っている事情もある。「judicial overreach」の批判に理屈はあるが、当事国の立場次第でもあり(勝てば不都合はない)、米国にはその故に負けが込んだとの苛立ちがあるに違いない。米国のジュネーブ常駐代表は、「上級委員会は‘国際法廷’で、委員は‘裁判官’だと思い違いしているのではないか」とも批判する。
米国の常駐代表は、WTOで行われている作業の目的は紛争解決のルールの再交渉ではなく、加盟国が定めたルールに上級委員会を従わせるための方策を見出すことだと述べているが、米国自身はそのための具体的な提案を行っていない。行うつもりもなさそうである。これは建設的な態度ではない。
といって、手頃な打開策があるようにも思えない。まずは上級委員会の委員の補充を再開して正常化した後に、上級委員会が下したWTOルールの問題視される解釈について、これを変更することをWTO加盟国で検討することをEUは示唆しているようである。しかし、提案に値する具体性を欠いており、役に立つようには思えない。EUとカナダは、既に去る7月、上級委員会が機能を停止している間に備えるために上訴を処理する暫定的な仲裁取決め(仲裁委員には上級委員会の元委員を活用する)に合意したと発表した。しかし、これは両当事者に適用があるだけである。紛争の付託に際し上訴しないことを合意し合った加盟国もあるらしい。いずれも根本的解決に道を開く訳ではない。
米国はそれで不都合はないのであろう。既にWTOを迂回し始めている。勝手気儘に中国との関税戦争を始めている。鉄鋼とアルミに関税をかけた。自動車に関税をかけると脅かしている。貿易の世界は力の強い者がルールを支配するジャングルの論理がまかり通ることになるのかも知れない。
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