スーチー氏は来年に総選挙を控えており、裁判での発言は国際的な見られ方よりも自国民からの評価を意識していたとみられる。中坪氏は「スーチー氏率いる国民民主連盟が勝つとだろう」と見るが、結果として「ノーベル平和賞のヒロインは晩節を汚した」と酷評する。
今回の裁判の判決(虐殺の認定)には数年かかる見通しで、判決に強制力はない。仮にミャンマーに対し国際社会が何らかの制約をかしたとしてもほとんど効果はなく、外圧に対してますます意固地になるどころか中国への依存が強まる。それでも「実際に非人道的な行いが大規模にそして計画的に行われた事実は許されるべきではなく、ミャンマーの国家的犯罪として歴史に刻まれるべき」と中坪氏は主張する。
帰還の目処が立たずに長期化する難民問題
本著では、ロヒンギャの歴史についても、史料の紐解きや専門家へのヒアリングで概説している。ロヒンギャが歴史的に定着した民族ではなかったことを示す反面、その呼称がビルマ社会に浸透していた事実を紹介している。ミャンマーがロヒンギャに外国人登録証を交付した1974年がロヒンギャを全面的に排除し始めた時であり、その後段階的に弾圧への措置が進む様子を国際情勢と絡めながら時系列的に説明する。
そして、2017年8月のミャンマー政府からの歴史的な大弾圧も、当事者の証言から〝再現〟する。証言は私が2年前の9月にキャンプを訪れ、ミャンマーから逃れてきたロヒンギャの人たちに聞いた話と同じ内容である。多くの人が目の前で家族や親戚を殺され、家は焼かれ、財産は全て失ったと語る。人々は無差別に銃撃され、家に閉じ込められたまま火を放たれ、女性はレイプされ、赤子は地面に叩きつけられ殺された。何日もかけて命からがら国境を越えてきたロヒンギャの人たちは皆、虚ろな目をしており憔悴しきっていた。
ロヒンギャ難民を受け入れたバングラデシュ政府とホストコミュニティは、2年にわたり献身的に援助を行ってきた。しかし、2019年8月25日に行われた数十万人規模の大規模抗議集会を境に、「バングラデシュ国内世論のロヒンギャに対する見方が変わった」と中坪氏は指摘する。
この「潮目」によりキャンプの責任者や関係者が更迭され、国連やNGOのキャンプでの活動が制限されるなど様々な弊害が生じた。またロヒンギャに対する苛立ちや不満が、現地で活動する国連やNGOに矛先が向けられるといった歪んだ感情も生まれているという。一部暴徒化した地元住民がAAR Japanの関連施設を破壊するなど、ホストコミュニティの苛立ちは相当募っていると中坪氏は説明する。バングラデシュ政府もロヒンギャに対する見方を人道問題から治安問題へと認識を変え、もはや同情は皆無で、ロヒンギャは生活を脅かす「招かれざる客」となってしまった。
私が8月に行われた抗議集会の後に、実際に現地で地元住民に話を聞くと、「仕事を奪われた」「治安が悪くなった」など様々な否定的な声があり、受け入れ側も限界に来ていると感じた。やがてこれらの不満が爆発し、ロヒンギャとの大規模な衝突につながることも懸念される。
長期化する課題の裏に潜む中国の影
ミャンマーにとって地政学的に避けられない、中国の影響も増している。ミャンマーに対する国連の非難決議で、中国は反対の立場を取り続けミャンマーを擁護している。
一帯一路で世界の覇権を掌握したい中国にとって、ロヒンギャが多く住む西部ラカイン州は重要な経済特区であり、インド洋からパイプラインで石油や天然ガスを自国に供給可能となる。「ミャンマーの後ろ盾となり恩を売り経済権益を確保するのが狙いだろう」と中坪氏は説明する。
真意は定かで無いと前置きした上で、中国政府の特使が密かにキャンプを訪れ、一世帯につき5000〜6000ドルを提供したら帰還するかと、難民に尋ねたというエピソードも本著で紹介している。帰還したロヒンギャの一時受け入れ施設を中国が建設するなど、中国の影響力は顕著になっている。そしてロヒンギャ難民に対する国際社会の関心が薄れていくことこそが、ミャンマーと中国にとっては理想のシナリオだという。