2019年8月25日。バングラデシュの南東部にあるクトゥパロン難民キャンプ。午前9時から何かが起こるという情報を聞きつけた私はホテルを出発し現場へと向かった。世界最長の天然ビーチを持ち、新婚旅行のカップルや家族連れで賑わうバングラデシュ随一の観光地コックスバザールから車でおよそ1時間。目的地に近づくにつれ人が湧き出るように増えていく。うだるような暑さの中広場には数十万人の人が集まり異様な雰囲気で始まりを待っていた。
ミャンマー政府による弾圧でラカイン州から逃れたイスラム系少数民族ロヒンギャたちが弾圧による大流出から2年が経過しても、帰還の目処が立たない苛立ちと母国の改善されない人権状況に対して抗議の声を上げていた。2年前の弾圧時に軍に10歳の息子が銃殺された40代の女性は「ここは食料が不足している。早く故郷に戻りたい」と語る。また少年(13歳)は「食糧が不足しているしキャンプは汚い。一日中何もすることが無く故郷のことをいつも考えている。以前のように学校に通いたい」と訴える。
ロヒンギャの一部過激派が警察施設を襲撃したことが発端とされる軍を主体とする報復活動は、民族浄化と言っても過言ではないほどの凄惨さを極め、70万人以上のロヒンギャが隣国バングラデシュに逃れてきた。ほとんどが家族や親戚を殺されたり家を焼き討ちにされたりし、命からがら何日もかけて国境を越えて来た。また多くの女性が性的暴力やレイプされるなど非人道的な行為を受けたと報告されている。「食料もお金もいらないから武器をくれ。奴らに仕返しに行くんだ」とある青年は怒りをぶつける。
犠牲者の数は少なくとも1万人、最大で2万5千人と推測される。ただ、ミャンマー政府が海外のメディアや調査機関の受け入れを制限しているため、被害の全容は未だ掴めない。
私は2014年から毎年のようにロヒンギャ難民を記録している。「ミャンマーからやって来たロヒンギャという国籍を持たない民族が、国境沿いの難民キャンプに数十年にわたり暮らしている」。ロヒンギャを知ったきっかけは現地の友人から聞いた話だった。歴史、宗教、文化、人種、民族、言語などを起因とする衝突。ロヒンギャ難民は私たち人間が直面しているあらゆる課題を提起している。それはジャーナリストとして取り組まなければいけないテーマだと感じた。