2024年12月10日(火)

WEDGE REPORT

2019年10月24日

 飛行機で首都ダッカに降り立ち、夜行バスに8時間乗り、車でさらに1時間ほどかけてようやく難民キャンプに辿り着いた。悪路をけたたましくクラクションを鳴らしながら、猛スピードで走るバスに揺られ私はほとんど眠ることが出来なかった。長旅の疲れで体の芯が重くなる中、初めてキャンプに足を踏み入れた時の衝撃は今でも忘れられない。

 過密な土地にゴミや汚水が散乱し、トイレや水道といったインフラは整っておらず、とても人間が住むのに適した状態とは言えなかった。そんな劣悪な環境下で数十万人が暮らしていた。現代においてこんなにも凄惨な体験をし、悲惨な暮らしを余儀なくされている人たちがいるのかと思い知らされた。それでも彼らは貧しいながらも身なりを整え、コーランを諳んじ毎日の礼拝を欠かさない。民族としてのアイデンティティに誇りを持ち、いつか故郷に帰る日を信じて気高く生きていた。

ロヒンギャ難民は、劣悪な環境での生活を余儀なくされている

「ここには仕事がない。家族はいつも空腹」

 広大な農地が広がり住んでる人もまばらで木々に覆われた丘陵地帯の、アジア象を含む豊富な野生動物が暮らす自然豊かな一帯。そうしたミャンマーとの国境近くにあるキャンプには、もともと過去にミャンマーから逃れてきたおよそ30万人のロヒンギャがいる。新たに流入した70万人を加えると100万人以上が暮らしていることになる。ごく一部のロヒンギャは国連が運営する公式キャンプで暮らしているが、残りの大多数が暮らすキャンプは劣悪な環境で食糧は慢性的に不足しており、水道やトイレなどのインフラも十分ではなく常に感染症などのリスクと隣り合わせだ。

 「ここには仕事が無い。家族全員がいつも空腹だ。米や油の援助はあるが鶏肉や魚は現金が無いと手に入らない。家は狭く雨が降るとすぐに壊れてしまう。故郷では広い土地と沢山の家畜を持っていたが全てを失った」と男性(42歳)は現在の生活を話す。彼らは就業が許可されておらず、現金収入は殆ど無い。違法に日雇い労働などをしてわずかな稼ぎを得る。キャンプでは人身売買やドラッグが蔓延するなど治安も安定しない。

 ミャンマーとバングラデシュの両国は難民の早期帰還開始に合意し、昨年11月と今年の8月に2度の帰還計画が実行された。しかし、これに応じるロヒンギャは誰もいなかった。「目の前で家族や親戚を殺された。家も焼かれ家畜も奪われ全てを失った。たとえ帰ったとしてもまた同じ目に会うのだろう」「母国での安全の保証や基本的権利が認められない限り帰るわけにはいかない」と多くの人が口にする。帰還計画は度重なる国際社会からの非難と国連での非難決議に対するミャンマー政府の単なるパフォーマンスに過ぎないとも言われている。両国は相手国の不備や不手際が原因だと責任の擦り付け合いをしている状態で計画は頓挫したままだ。


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