真珠の首飾りは、この「マラッカ・ジレンマ」の回避を目指している。中国は、パキスタンのグワダル港、カンボジアのチッタゴン港、ミャンマーのチャオピュー港などの深海港の開発に投資をして大型タンカーの拠点を確保し、道路や鉄道、河川、パイプラインでこれらの港湾を中国内陸部と結ぼうとしている。タイを横断するクラ地峡の開発も行っている。
「真珠の首飾り」は中国の軍事戦略なのか?
加えて、中国は真珠の首飾りに軍事的価値も見出しているといわれる。たとえば、中国はホルムズ海峡の出口に近いグワダル港や、マラッカ海峡の出口に近いミャンマーのココ諸島に海洋監視施設を保有していると伝えられている。実際に中国のソマリア沖海賊対処部隊がこれらの真珠に寄港するようになり、ここ数年軍事利用の真実味が増している。
中国の第1(日本列島~台湾~フィリピン~ボルネオ)・第2列島線(伊豆・小笠原諸島~マリアナ諸島)に加えて、「第3列島線」がハワイにまで延びるのか、あるいはインド洋に延びるのかに近年注目が集まっていた。真珠の首飾りは第3列島線がインド洋に延びていることを示している。中国はアフリカからのエネルギー輸送確保のため、セーシェルやモルディブ、モーリシャスなど、インド洋の島嶼国にも接近するようになっている。
グワダル港湾はシンガポール港湾局が管理
だが、真珠の首飾りという概念は中国の軍事戦略ではない。この概念の出所となったアメリカ国防省の報告書もそう但し書きしている。
そもそも、真珠の軍事利用には大きな困難がともなう。それは中国がインド洋において空軍力を欠いているからである。昨年試験運用を始めた空母の運用には今後数十年かかるし、航空支援や対潜水艦作戦能力を提供してくれる同盟国も見当たらない。経済力をテコとした中国の強引な海外進出には反発も強く、ミャンマーの民主化は同国の施設の軍事利用をますます困難にするだろう。なにより、中国海軍が西太平洋で日米の海軍力に対峙しながら、インド洋にも海軍力を割けば二兎を追って一兎をも得ないことになる。
真珠の首飾りはあくまで中国の商業上の関心を反映したものと考えるべきである。グワダルの港湾を管理しているのは、シンガポール港湾局である。シンガポール政府関係者は、「中国がグワダルを軍港として使うなら即座に港湾機能を停止させる」と口をそろえる。
敏感に反応するインド
「ホルムズ・ジレンマ」抱える
とはいえ、往々にして噂は現実として認識される。中国海軍がインド洋への進出を狙っているというイメージは定着し、これに最も敏感に反応しているのがインドである。インドは中国と長年にわたり陸の国境線を挟んで対峙してきたが、中国のインド洋進出によって海でも中国と向かい合うことになった。
今やインドの対東アジア貿易が占める割合は5割を超え、インドにとって東アジアへの海上交通路は極めて重要となっている。一方、インドは9割のエネルギーを湾岸地域から輸入していて、ホルムズ海峡の通航に影響を及ぼし得るイランやパキスタンが中国と友好関係にあるため、「ホルムズ・ジレンマ」を抱えている。
「ダイヤのネックレス」を検討
インドからみれば、真珠の首飾りは対印包囲網以外の何ものでもない。このため、インドは海外拠点の取得によってこの包囲網を突破するダイヤのネックレスを検討するようになった。インド海軍が2007年に発表した海洋戦略はインド洋を主要作戦海域と位置づけ、遠洋航海能力と海洋監視能力の増強、そして海軍外交を打ち出している。
インド海軍は空母の3隻態勢を打ち出し、5隻の原子力潜水艦の導入も計画している。マダガスカルには監視施設を設置、モザンビーク海峡のパトロールも行なっている。また、08年からインド洋海軍シンポジウムを主催する一方、日米やインドネシア、タイ、ベトナム海軍との交流も深めている。