2024年4月25日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月23日

「我々こそ人権を保障している」

 しかし日本は他でもなく、第二次大戦までの歴史において他国の意に沿わないかたちで軍事的に拡張し、国内的にも軍事的緊張の中で人権が制限されたからこそ、戦後は一貫して自由と人権という価値を重視している。日本にとって極めて重要な意味を持つ隣国においてもやはり自由と人権の普遍的価値が実現すること(少なくとも改善に向かうこと)は、日本が展開する外交・国際関係が真に相互の信義に基づいたものになるためにも重要である。

 勿論、ライバルとなる国において言論の自由が存在することによって、対日強硬論は今以上に出現することになるかも知れない。それでも、少なくとも言論や思想が政府によって統制され、それによって様々な矛盾が国内に蓄積され、鬱憤晴らしにしばしば「反日・抗日」なるものが政治的に動員されるよりもはるかにましである。

 そして、自由や人権を抑圧してでも維持しなければならない国家などというものは、そもそも国民のためではなく権力の自己目的のためにあるものでしかない。

 中国は「当面は自由を制約してでも、まずは富国強兵を図ることが究極的には国民のためである。豊かさを実現することが少数民族を含めた国民の願いであり、実際に我々は少数民族の《生存権》《発展権》を満たしている。したがって、人権弾圧どころか我々こそ人権を保障している」という趣旨を、人権白書の類でことあるごとに強調し、今回日本の国会議員に対してもそう主張したという。とはいえ人権とは、物質と精神の両方が満たされてはじめて真の人権といえる。精神的な人権を現実において提供できない国家というものは、それだけでも国民に対する責務を放棄している、または責務を果たし切れていないと言うべきである。

中国の「新しい帝国主義」

 したがって、日本は中国からのこのような圧力を一切聞く必要はないし、聞くべきでもない。日本国家は常に日本国民からの評価、そして世界の様々な国々からどれだけ日本が好意的に見られているかという評価を第一義に考えるべきである。

 とくにグローバルな国際社会と経済が自由と創意に立脚し、紛争の緩和・解決もその大前提である以上(中国の国際的評価の高さは、突出した経済が人権問題を霞ませていることによるものであり、長期的な中国の印象には寄与しないだろう)、資源小国である日本は総合的な経済・社会の質を磨き高め、国際社会に良い影響を与え続けることによってしか生き延びて行くことは出来ない。

 自由・人権という価値が国境を越えて実現されるべきだと考えるのであれば、そのために闘う人がたとえ隣国の嫌悪する人物であろうとも、日本国の法秩序に従う限り無条件で受け容れるべきであろう。さらには、当事者(この場合は中国と亡命少数民族)が対話する場をも積極的に提供するのも一考に値するのではないだろうか。

 そもそも、中国から逃れた亡命政府や亡命エリートが米国・ドイツ(そしてチベットの場合はインド)を中心に活動し、それに対し中国が「断固たる措置」を取っていない以上、米国やドイツと価値観を共有する日本が亡命者の活動を否定する道理などない。もし中国が日本に対してのみ「断固たる措置」を発動するのであれば、それこそ日本を政治的に従属させようとする「新しい帝国主義」であると見なされても仕方がない。

→次ページ 中国が抱える自己矛盾


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