何が情報発信の壁となるのか?
新型コロナウイルスの感染者の発表において、その仕様は、各自治体でまちまちだ。通勤手段や行動履歴を出しているところもあれば、「居住地、年齢、性別」という漠然とした情報しか発信していない場合もある。
「感染予防のためには個人が特定されない範囲で、できるだけ詳しい行動歴を公開すべきというのが私の考えですが、現実には様々な壁にぶつかります。
例えば、感染者が宿泊していたホテル名を公表した場合には、そのホテルへの営業妨害になる可能性があります。仮に訴訟を起こされた場合、自治体側には感染症法第16条の理念のような建前があるだけで実際に戦える武器があるわけではありません」
(2)前項の情報を公表するに当たっては、個人情報の保護に留意しなければならない。
「『予防のため』との情報はどこまでなのか。『個人情報への配慮』とはどこまでなのかが明確に示されておらず、この法解釈とその判断が都道府県や政令指定都市任せになっています。
公表に当たっては、①個人の了承が得られている場合か、②あるいは公開に際して公益性が高いと自治体が判断した2つの場合です。ここで個人の了承という部分が実はあいまいで当然個人名や住所など、個人が特定される情報は出しませんが、患者ご本人が『自分が特定されるのではないかと危惧あるいは不安』を表明した場合の取り扱いの判断は、自治体によって異なるのではないかと思います。
また、患者ご本人とのある程度の信頼関係がないと、行動歴の詳細な情報は得られない点も、公表を難しくします。患者ご本人は、行政側に何も話さなくても法的にはなんの問題もありません。患者側は、どこまで行政が公開するのかについて当然神経質にならざるを得なくなります」
感染症にかぎらず、リスク発生時の情報発信は非常に難しい。だからこそ、あらかじめそのあり方に議論をしておくことは大切で、今後の教訓とすべきだ。
「情報発信のあり方(詳細)については、統一基準があるべきで、国が何かしらのガイドラインを出してもよいのではないかと思います」
坂元医師の原体験
最後に、坂元さんにとって感染症対策の原点となった体験について記しておく。
坂元さんの父親は、広島で被爆した。記者も広島出身者として、坂元さんが前出の『パンデミックレビュー』に自身の原体験を綴っておられるのを読んで、胸に迫るものがあった。かつて被爆者であったり、広島市の出身者であるだけで、差別された人が多くいたことは、記者も幼いころから何度も聞いたことがあった。以下、坂元さんの言葉を転載させていただく。
「今から60年も前、私がまだ小さかった頃、広島で被爆した後遺症の再発で体調を崩していた父が結核を患い10年近く入退院を繰り返していた。幼稚園に入るのを嫌がられただけではなく(入園できるお金もなかったが)、わが家の前を鼻と口を押えて小走りに通る人もいた。父は亡くなる間際まで、子供たちに辛い思いをさせたことを悔いていた。でも父の責任ではないことは私たち子どもにはよく分かっていた。感染症を個人の責任と考えることは感染症対策を遅らせ、非科学的なものにしてしまうことを強く感じている。これが私の感染症に対する原点である」
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。