「風」というお題が出たとき、極端に言うと、こんなふうに風の情景を描写するだけの人がいる。
台風だ風が強くて大変だ
川柳にも俳句にもなっていない。詠み手の気持ちが何にも伝わってこないよね? これじゃ「説明川柳」だ。のぞみさんが詠んだ句もそうですね。
舞い上がる風に吹かれて花吹雪
一瞬強い風が、一度は散った花びらを舞い上げる、その光景は美しいものだとしても、誰もが思いつくものです。では、これをどうすれば印象に残る句になるのか。
それは、 “作者の気持ちから出発する”ということなんです。
第1回でも言ったように、現代川柳は心の機微を詠むもの。まずは最近自分がどんなことに心惹かれているか、あるいは怒っているのか、哀しんでいるのか。それを出発点にしましょう。
僕はさいきんね、“老い”というものについてしばしば考えることがある。つらつら老いについて考えていると、こんな句ができるんだ。
いっせいに北風になる友たちよ 昌善
「北風」の想像はいろいろ広がると思う。きりりとした強さもあれば、寂しさも感じるでしょう? 句のなかに作者がいるかどうか。それを読み手に感じ取らせることができたらいいですね。
とくにお題が出る「題詠」の場合は、お題を解説する句になりがちです。
お題が「温かい」なら、
かあさんの手はいつだって温かい
とかね。でも、これでは当たり前でしょう。だから、もう少し「温かさ」のバリエーションについて推敲してみたらどうだろう。
軍歌しか知らない父の子守歌 昌善
どうですか? こちらは無骨な父の不器用な心の揺れを感じることができません?
出発点に、自分がいちばん強く持っている感情を置いて、そこからお題につながるイメージを膨らませていってください。そうしたら、キラリと光る表現が思いつくかもしれませんよ。