チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年7月9日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

《経済》は必然的に《民意》ではなく《政治》を選ぶ

 一般に香港の民主化問題は、北京の中央政府(その下請けとしての香港政府)と一般市民を対置させて論議されている。「一国両制」が保障したはずの「高度な自治」を間に挟んで、香港の強圧的支配を企てる習政権と民主と自由を求める善意の市民という対立図式だ。だが、これでは香港社会を理解することはできない。カギは企業家にある。

 じつは「金の卵を産む鶏」は《政治》(=香港政府を従えた中央政府)と《経済》(=企業家)の連携によって支えられて来た。《民意》(=一般市民)は《政治》と《経済》、つまり権力と企業家の連携を遠巻きに眺めるしかなかった。それが英国殖民地時代の実態だ。とはいえ、《政治》と《経済》と《民意》のうちのどれが欠けても、「香港の繁栄」はあり得なかったことも事実だ。三者が連携することで、香港は「金の卵を産む鶏」として振る舞うことができたのである。

 1997年7月に特別行政区となって以来、《政治》は「一国両制」から「一国」へと徐々に軸足を移し、中央政府による統制強化を目論む。利潤を追求する《経済》の論理に従うなら、先ず求めるのは社会の安定となる。《民意》は「『一国両制』の『両制』は民主と自由を保障したものだ」と主張し、当然のように《政治》に反発する。限られた企業家に富の多くが集中するような世界に冠たる格差社会が民主化されてしまったら、おそらく企業家が従来と同じように気ままなパフォーマンスを展開することは困難になる。政治の民主化は経済に波及し、限られた企業家による経済の専横に異議を唱えることになるだろう。であればこそ《経済》は必然的に《民意》ではなく《政治》を選ぶに違いない。

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