チャイナ・ウォッチャーの視点

2020年7月9日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

北京と愛国商人、「互恵互利」の関係

 ここでもう一つ、香港経済の構造上の問題を指摘しておきたい。

 「世界金融センター」として知られる香港だが、実態は土地本位制の経済構造(「地産覇権」)、巨大不動産業者が社会全般に大きな影響力を行使する権力構造(「財閥独裁」)によって維持されてきた。この構造を維持するため、一貫して《経済》は《政治》との「双贏(ウィン・ウィン)関係」の構築に腐心してきたのだ。

 たとえば1980年代半ば、中国主導による返還が明かになるや、香港の企業家は内外から「最高実力者」と称されていた鄧小平の許に馳せ参じた。おそらく返還後の“香港のかたち”を探りながら、自分たちの企業活動に対する保障を求めただろう。

 「最高実力者」から「香港の繁栄の維持」「一国両制」「香港の50年間不変」の言質を取ったことで、彼らは「愛国商人」に変じ1997年の返還までの10数年に及ぶ「過渡期」に共産党政権主導の返還作業に全面協力したはずだ。「愛国商人」の多くが、第二次大戦終結から国共内戦を経て中華人民共和国建国前後までの間、共産党権力を嫌って香港に逃れてきた事実を記憶しておきたい。やや戯画化して表現するなら、経済活動を通じて「反共」はいとも簡単に「愛国」に衣替えしてしまうのである。

 彼らが企業家であればこそ、「愛国商人」を演ずる交換条件を望んだと考えても強ち不思議ではない。それが中国市場での企業活動に関する“恩典”であったとしても、である。じつは中国市場において「愛国商人」のように動けなかった企業家がいた。中国政府主導の返還作業に合流することを肯じなかったことで不利益を被った彼らが、その後に「愛国商人」の仲間入りしたことは言うまでもない。

 特別行政区のトップである行政長官選挙に際しては、初代の董建華から現在の林鄭月娥まで、若干の路線の違いは見られたものの「愛国商人」は一貫して歴代中央政権が定めた“公認候補”を支えてきた。

 2014年秋に勃発した「雨傘革命」において、彼らは素早く立ち回った。

 血気に逸る若者が街頭行動に打って出る直前、香港経済をリードする70数名の企業家で構成された「香港工商専業訪京団」は李嘉誠を団長にして北京に急行し、習近平国家主席に“恭順の意”を示している。当時の香港における株式時価計算で、彼ら「愛国商人」の傘下企業株価を総計すると、じつに上場株式の6割から7割に達していた。つまり彼らを抜いたなら香港経済は成り立たないということだ。

 《政治》と《経済》――北京と「愛国商人」――が「互恵互利」の関係を結んだ以上、若者による民主化の声が封殺されることは、街頭行動に移る以前から既に運命づけられたのも同じだっただろう。にもかかわらず内外メディアは、明日にでも香港の民主化が達成されるとミスリードを重ねていたのである。

 であればこそ、メディアによる「反中=民主化=香港人」というキャンペーンは眉にツバを付けて聞くべきだろう。

 たしかに《民意》は反中意識を強め中国人であることを嫌悪し、自らを「香港人」と見なす。その結果として「反中=民主化=香港人」という図式が成り立ちそうだ。だが、この図式では括れない現実が、既に香港では進行している。合法・非合法の別なくに新たに中国からやって来た彼人々は「香港人」の仲間に入れないままに、主に最下層の労働環境に置かれながら「香港人」の社会生活を下支えしている。

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