蔡英文政権は、なぜ一歩踏み込んだのか。理由の一つには、台湾と香港の市民社会の連帯がかつてなく強まっていることがある。
鄧小平政権以来、中国共産党は香港に導入した「一国二制度」を「平和統一」後の台湾にも適用する構想をもち、台湾に対するショーウインドーの役割を香港に期待した。しかし、台湾で「一国二制度」は一貫して不人気で、既に中国に返還された香港に対し、台湾の人々は冷淡だった。
ところが、2008年頃から、香港と台湾の社会には中国の影響力の高まりという共通の現象があらわれ、若年層を中心とした市民の連帯が生まれた。特に、連帯が強まるきっかけとなったのが、14年のひまわり学生運動と雨傘革命であった。それ以来、台湾の市民は「今日の香港は、明日の台湾」という危機感をもって香港情勢を注視し、香港の市民は「今日の台湾は、明日の香港」という希望をもって自由や民主を守ろうとしてきた。
19年1月に習近平が「一国二制度の台湾版」を掲げたこともあり、台湾の市民は香港の逃亡犯条例改正に危機意識をもち、香港に声援を送り続けた。蔡英文はこのような状況を捉え、「一国二制度」の拒否と、「自由と民主の防衛」というアジェンダを設定したことによって、20年の総統選挙で快勝を遂げた。蔡英文・民進党の選挙集会や当選演説の会場では、「台湾頑張れ」とともに、「香港頑張れ」という声援が自然と沸き起こっていた。
こうして誕生した第二期蔡英文政権の船出とほぼ時を同じくして、中国は香港国家安全法制定を決定した。翌日の台湾主要紙には、「一国二制度を引き裂く」、「一国一制度」、「閃光弾」といった見出しが並び、台湾における衝撃の大きさを物語った。蔡英文政権が対応を見せなければ、有権者からの失望と批判を招いたであろうことは想像に難くない。
いま一つには、新型コロナウイルスの流行によって生じた、中国と台湾を取り巻く国際環境の変化がある。
台湾は、素早い初期対応とSARS流行時の経験を生かした防疫政策で感染拡大を抑えた。台湾における累計感染者数は449人、死者は7人(7月4日現在、衛生福利部疫病管制署)と、東アジアのなかでも特に少なく、国際的に高い評価を得ている。