2022年7月3日(日)

赤坂英一の野球丸

2020年7月29日

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自由奔放に打っていた原点に立ち返るべき

 ただし、その半面、水谷氏は「性格に少々気になるところがある」とも指摘していた。大変勝負強い打撃をする一方、飛びつくように打ちにいって、あっさりと凡退してしまうことも少なくなかったからだ。

 その最たるケースとして水谷氏が挙げたのが、2016年のボーイズリーグ府県選抜大会でのことである。愛知県西選抜チームの主砲として出場していた石川昂は、京都戦で2点をリードされていた九回1死一・二塁で、カウント3-0から三ゴロ併殺打に打ち取られ、チームも負けてしまった。

 「京都の投手はもうアップアップで、明らかに昂弥を恐れていたんですよ。だから、昂弥ももっとどっしり構えて、ボールを見ていけばいいのに、簡単に手を出して打ち取られている。そういう脆さがあるんです」

 つまり、プロの高卒新人が先輩たちに睨まれてしまうような打撃を、石川昂は中学時代から見せることがあったわけだ。この水谷氏の見解を、私は当時中学3年生だった石川昂にぶつけてみた。すると、彼は悪びれもせず、あっけらかんとこう答えたのである。

 「あのときの球、真ん中ですよ」

 カウント3-0だから、相手バッテリーは絶対にストライクを取りにくる。それを打ちにいくのは当然、と言わんばかり。なるほど、これでは水谷氏が歯痒く思うのも無理もないと、私もそのときは同様の感想を抱いた。

 しかし、プロでもがいている石川昂のいまの姿を見ていると、いまこそボーイズ時代の自由奔放に打っていた原点に立ち返るべきではないか、と思えてくる。彼はもともと天才型で、大人のコーチから細かい指導を受けて現在のフォームを確立したわけではない。

 「打ってるときは楽しいですね。どうやって打つとか、あまり考えないようにしてやってます。どこのポジションをやりたいとかも、あんまりなかったし」

 野球で苦労したこと、難しいと感じたことはなかったのか、と質問を重ねても、石川昂は「あんまりないです」と答えた。それほどの天賦の才能に恵まれ、ほとんど挫折らしい挫折を経験することなく、地元の名門・東邦に進んだ彼は、2019年の選抜大会で甲子園に出場し、見事に優勝まで上り詰めている。

 父・尋貴さんも東邦OBで、1989年に選抜で初優勝したときの3年生だった。ただし、ベンチ入りメンバーには入れず、アルプスで応援に声を嗄らしている。それからちょうど30年後、息子の昂弥が主砲兼エースに成長し、母校を優勝に導いたわけだ。

 そこまでは順風満帆で、かつて尋貴さんに「ウチの子は挫折知らず」と言われた石川昂も、3年生だった高校生活最後の夏は愛知県大会で屈辱のコールド負けを経験した。ドラフト1位で入団した中日では、キャンプ中に左肩を痛め、一軍での実戦デビューを見送られている。7月の一軍昇格後、21打席連続無安打だった間に、自分を見失いそうになっていたころにも、様々なことを考えたはずだ。

 石川昂はこれからも大きな壁にぶつかるに違いない。そうした試練を乗り越え、レギュラーをつかめるか否かは、知多ボーイズ時代のように伸び伸びとバットを触れるかどうかにかかっている。縮こまらず、猫背にならず、原点を忘れずに頑張ってほしい。

  
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