赤坂英一の野球丸

2020年5月20日

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 新型コロナウイルスの感染拡大でプロ野球の開幕が延々と遅れている中、テレビや新聞などのメディアも番組作りや紙面作りに苦労している。どこでもやっているのが、語り草となっている過去の名勝負を取り上げたいわゆる〝振り返りモノ〟。私も東京スポーツやSports Graphic Number(文藝春秋)に何本かそういう記事を寄稿した。

(koyu/gettyimages)

 そうした中、ネットのアクセス数やファンの関心が一際高いのが乱闘ネタである。最近では滅多に見られなくなったが、2000年ごろまでは死球、暴言、判定をめぐってよく選手が激高し、両チーム総出でくんずほぐれつの肉弾戦を展開。審判によって退場させられるだけでなく、ケガをして球場から病院へ担ぎ込まれる選手も後を絶たなかった。

 もちろん、暴力は厳に慎むべきだ。野球の勝負に喧嘩を持ち込み、死球や判定に対する怒りや不満をパンチやキックで晴らすなど、もってのほか、ではある。

 しかし、その一方、昔から「火事と喧嘩はお江戸の華」という言葉があるように、プロ野球界でも「乱闘はグラウンドの華」と言われた。選手、監督、コーチによるドツキ合いもまた〝プロ野球のうち〟。これもゲームを盛り上げる見せ場のひとつだと、スタンドのお客さんも、記者席で取材しているわれわれも大いに盛り上がったものだ。

 しかし、もし現在の新型コロナ禍が終息に向かい、プロ野球が開幕したら、もうかつてのような乱闘は見られないだろう。それどころか、今後は揉み合いやつかみ合いのような、暴力以前の行為をしただけで、厳しいペナルティーの対象となる可能性も出てきそうだ。

 理由は言うまでもなく、そうした〝超濃厚接触〟がウイルス感染の原因になり得るからである。先日、現役時代に何度も乱闘に参加した経験を持ち、類い稀な喧嘩っ早さと数々のプロレス技で勇名を馳せた某プロ野球OBがこう言っていた。

 「乱闘になったら、どうしても相手の胸ぐらをつかんだり、首根っこを押さえたり、その体勢からヘッドロックをかけたりする。手を出さないタイプの選手でも口は出すから、顔と顔を近づけて、『この野郎!』と大声で怒鳴り合ったりすることも多いじゃない。

 ソーシャル・ディスタンス(他人と約2m以上の距離を置くこと)もへったくれもなく、ラグビーの密集と同じ状態で、みんなが汗やツバ、時々は血まで飛ばし合うわけよ。そういう中に、ひとりでも新型コロナウイルスを持ってるやつがいたらどうなるか。たちまち、クラスター(集団感染)発生でしょう」

 世界中で最も早く開幕した台湾プロ野球(CPBL)では、あわや大乱闘という一触即発の場面があった。4月19日、台北・桃園国際球場の楽天モンキーズ-富邦ガーディアンズ戦である。

 富邦先発投手のドミニカ人右腕ヘンリー・ソーサが、試合開始直後から執拗な内角攻めを続けて、1-1の同点だった4回2死走者無し、カウント3-0から楽天・郭嚴文の腰に死球をドスン! これがきっかけだった。

 この死球を明らかな故意と見た楽天の選手たちが激高し、ドッとマウンドに押し寄せ、ソーサも応戦しようとして揉み合いになったのだ。が、乱闘に発展することはなく、試合は死球を受けた楽天が快勝。米国TMZ電子版は、この模様をこう伝えている。

 「乱闘騒ぎが起こると、両チームのベンチが空っぽになった。適切なソーシャル・ディスタンシングに反している。が、この男たちにとってはどうでもよかったのだろう」

 この出来事はアメリカだけでなく、日本のスポーツ紙やネットメディアでも報じられたから、すでに知っているファンも多いだろう。Full-Countによれば、TMZの公式ツイッターにはアメリカのファンから「サヨナラ、新型コロナウイルス」「台湾は本当に素晴らしいことをした」などと好意的な反応が多数寄せられたという。どうやら〝乱闘好き〟は世界各国の野球ファン共通の嗜好らしい。

 これが一昔前の日本だったら一気に乱闘に発展していた可能性が高い。死球がきっかけでバトルロイヤル状態になった試合と言えば、1994年5月11日、神宮球場のヤクルト-巨人戦を思い出す。

 このときは、ヤクルト・西村龍次が危険球、殴り合いをした巨人ダン・グラッデンとヤクルト・中西親志が暴力行為で退場となった。ちなみに、1試合退場者3人は史上最多タイ記録。

 中西にパンチを見舞ったグラッデンは右手親指と左手小指骨折、顔面を殴られた中西は左眼球打撲、さらに西村に頭部死球を受けた巨人・村田真一が試合途中で慶応病院に搬送され、診察と治療を受けている。この事件は「史上最大の乱闘」とも言われた。

 この時代は1996年、ナゴヤ球場での中日-巨人戦での山崎武司対バルビーノ・ガルベスの殴り合い。1998年、甲子園の阪神-巨人戦における大熊忠義外野守備走塁コーチの槙原寛己への跳び蹴りなど、スタンドを沸かせた上、格好の話題となる乱闘事件がとても多かった。死球に対して過敏に反応し、判定にもエキサイトする外国人を含めると、それこそ毎週のように乱闘や揉み合いが発生していたような印象すらある。

 外国人の暴れん坊と言えば、NPB史上最多記録14回の退場処分を受けたタフィ・ローズ(近鉄、巨人、オリックスなど)が印象深い。グラウンドでの大立ち回りだけでなく、巨人時代にはベンチ裏でも弘田澄男外野守備走塁コーチと揉み合い、それを試合後に自ら報道陣にぶちまけていた。

 1シーズン3度の退場記録を持つ日本ハムのトニー・ブリューワも強烈だった。1990年6月30日、東京ドームのオリックス戦では、左膝に死球を受けて激高し、マウンドの伊藤敦規にウエスタン・ラリアット! 引退後は米カリフォルニア州の高校で野球部とレスリング部のコーチを兼任していたそうだから、もともとプロレスにも興味があったのか。

 スポーツ総合雑誌の老舗で、クオリティーの高い誌面作りで知られるNumberですら、30年前は『プロ野球「暴れん坊」列伝』(1990年9月20日号)という特集を組んだ。目次をめくると、「90年乱闘事件徹底検証」「ミスター・エキサイト10大対決」「スタジアムを震撼させた12大乱闘事件」などなど、刺激的なタイトルがズラリと並んでいる。

 このころまでのプロ野球界には、「乱闘になったら全員出動、ひとりもベンチに残っていてはならない」という掟があった。喧嘩が嫌いで腰の引けた若手がいたら、「若いやつほど真っ先に行くんだよ!」とコーチが叱責していたものだ。

 選手が乱闘に出遅れると、罰金を徴収するチームも珍しくなかった。星野仙一監督時代の中日では、グラウンドで相手チームの選手と挨拶や雑談をしていただけでペナルティーの対象になっていたという。

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