「やはり早まったのではないか」
5月20日に夏の甲子園、第102回高校野球選手権大会を中止にした高野連に対し、巷ではいまだにそんな声がくすぶっている。
タイミングが良かったのか、悪かったのか、中止発表の翌日、21日には阪神甲子園球場のある兵庫県、大阪府、京都府で緊急事態宣言が解除。その当日、吉村洋文・大阪府知事が〝見直し論〟の先陣を切るように、府庁での定例会見でこう発言した。
「僕自身はやってほしかったですね。高野連はリスクを取るべきではないか。考え直してほしい。大会開催は球児の進路にも関わるということもあり、何とか実現できなかったのかと思います。コロナ(新型コロナウイルス)の感染症対策を取りながら、自分たちが目標として、夢として追いかけてきたもの、大阪大会は実現できないかという思いです」
さらに、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県でも緊急事態宣言が解除された同月25日、今度はNPB(日本野球機構)と12球団代表者オンライン会議で、プロ野球のシーズンを6月19日に開幕することを決定。世間からも「プロができるのなら高校野球だってできるだろう」という声がにわかに高まった。
その翌日、5月26日には、最近テレビでお馴染みのコメンテーター、岡田春恵・白鴎大教授(元国立感染症研究所研究員)もテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』で夏の甲子園に言及。本来、スポーツは〝専門外〟であるはずにもかかわらず、こう言っている。
「甲子園って、本当にできないんでしょうかね。高温で、野外で、UV(紫外線)が燦々としていて、到底ウイルスが感染伝播するとは思わないので、無観客で、できれば多少形を変えてでも、高野連の方々には(球児たちに)チャンスを与えて頂けたらな、と思います。ウイルス学的には(高校野球の試合は)昼間ですし、UVが強いし、問題ないなって誰もが思うんじゃないか、と思うんです」
しかし、岡田氏の言うように中止を回避し、無観客での開催に踏み切れない事情も、高野連にはあった。3月にセンバツ(第92回選抜高校野球大会)を中止する際、一度は無観客開催を発表しておきながら、僅か1週間後には一転して〝反古〟にしている。このときの経緯が世間から批判を浴びていたからだ。
当初、高野連と主催する毎日新聞社の態度は強硬だった。3月19日のセンバツ開幕を15日後に控えた同月4日、大会運営委員会で無観客開催を決定すると、同日付の毎日新聞にこのような〝主張〟を掲載。
「『開催すべきではない』という意見もたくさんいただいています。心配の声があがるのは当然のことだと思いますが、『何とか開催してほしい』という意見も多く寄せられています。いずれの意見も重く受け止めたうえで、夢をつかんだ選手たちに何とか甲子園の土を踏ませてあげたいという思いから、判断しました」(一部抜粋)
この時点で、「たとえ中止せざるを得なくなるとしても開幕日の午前0時まで粘る」と話す高野連幹部もいたという。そうした中、新型コロナウイルスの感染拡大が進み、野球以外の部活動が練習の自粛、対外試合の延期や中止に追い込まれ、一般社会で「野球だけが特別扱いされるべきではない」という声も続出。結局、無観客開催を断念し、やむなくセンバツ中止に変更したのだった。
4月には、全国の都道府県で春季大会が相次いで中止となった。同月26日には、高体連がインターハイ(高校総体)の中止を決定。高野連・小倉好正事務局長はこれを受けて、「今回の決定に至ったさまざまな検討内容を参考にさせていただく」と語っている。このとき、約3週間後の夏の甲子園中止決定への流れがつくられた、と言っていいだろう。
一部の識者からは「高体連と高野連が別の組織になっているのはおかしい」と指摘する声もあがった。高体連は高校の体育部活動を統括する公益財団法人なのだから、当然野球もその一部や傘下に組み入れられるべきだ。野球だけが高野連という別の公益財団法人に運営されているから、こういう矛盾した事態が生じるのだ、というのである。
もちろん、高校野球や甲子園大会の規模、全国的注目度、社会に与える影響からすると、とても「高体連の一部や傘下」に収まるようなものではない。ただ、新型コロナ禍の状況下で、高体連とは異なる判断を下せば、高校野球や甲子園大会自体が一般社会の〝害悪〟と見られる恐れも出てくる。となると、夏の甲子園も中止にする以外、高野連に選択肢はなかった。
甲子園中止を嘆く声を、「単なる野球好きの大人の感傷に過ぎない」と断じる声も世間にはある。「プロ野球とは縁のないふつうで無名の高校球児にとって、中止は至極当然、むしろ賢明な判断だった」というのだ。
しかし、甲子園とは、そういう「ふつうで無名の高校球児」が「特別で有名な野球選手」へと成長できる舞台でもある。
高校野球の歴史を振り返れば、作新学院の江川卓(のち巨人)をはじめ、PL学園の清原和博(のち西武、巨人、オリックス)と桑田真澄(のち巨人)、横浜の松坂大輔(現西武)、花巻東の大谷翔平(現エンゼルス)などは、甲子園に出場する前から注目されていた特別な選手だった。プロのスカウトだけでなく、テレビや新聞を通じて一般のファンも彼らの存在を知っていた。
その一方、甲子園で活躍して初めてその名を知られた球児も少なくない。最近では2018年夏の100回記念大会で一躍スターとなった金足農・吉田輝星(現日本ハム)が、その最たる例だろう。よほどの高校野球マニアでもない限り、秋田の農業高校のひとりエースで、剛速球の持ち主でもなく、175㎝、84㎏と、体格も比較的小さな投手を知っていたファンはほとんどいなかったはずだ。
そういう無名の投手が全6試合に先発し、決勝以外すべての試合をひとりで黙々と投げ抜いた姿に、野球ファン以外の人たちまでが惹きつけられた。総投球数881という記録に感嘆し、マウンド上で刀を抜くような〝シャキーン〟ポーズに魅せられた。