今回は、東京都の特別支援学校で1978年から30年間、教諭を続けてきた加藤幸吉さん(58歳)に取材を試みた。
特別支援学校は、心身に障害のある児童・生徒が通う学校。幼稚園部、小学部・中学部・高等部が設けられ、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準じた教育を行っている。障害のある児童・生徒の自立を促すために必要な教育を受けることができる。東京都によると現在、都立57校のほか、1校が休校中、1校開校予定で、区立は5校。
加藤さんは青鳥、江東、南大沢学園、七生などの知的所外特別支援学校に勤務し、後半の13年は進路指導主任として、多くの生徒の就職支援にも取り組んできた。2018年に退職後も特別支援学校の非常勤として障害者の教育に関わる。
加藤さんにとっての「使えない上司・使えない部下」とは…。
「こんな仕事もできないのか?」と見下す人は少なからずいる
私が教えた卒業生A(当時18歳、男性)が、社員10人程の会社に就職しました。しばらくすると、会社から呼び出しを受けたのです。採用の責任者はAが「嘘をつき、仕事の手を抜く。そのうえ、しらばくれる」と言うのです。実直な性格のAは、挨拶などもでき、一見軽度の障害に見えますが、実態はそうではありません。その意味では、誤解を受けやすいのかなと思いました。
その会社はある大企業の特例子会社で、親会社から社内の清掃を請け負っています。採用の責任者の下に、指導員がいました。その人が、ふだんからAなどの障害者の現場の指導に関わっています。話を聞いていると、障害者のことを正確には把握していないようでした。たとえば、Aに日報を書かせるときに、漢字で書かせようと教える。ところが、次の日には書けない。指導員は「書けるのに書こうとしない。私の前で、しらばくれている」と言います。漢字を私が見ると、Aの知的レベルからすると、すぐ覚えるのには難しいものでした。
私は、責任者や指導員に彼の学習のレベルや特性を説明し、「悪気があってしているのではない」ことをわかってもらおうと説明しました。それでも、指導員はAのことをかたくなに否定しました。障害者への理解不足は明らかでした。私は、怒りや悔しさややりきれなさが入り混じり、なぜわかってくれないんだ!どうして信じてくれないのか?生徒の不憫さや自分の至らなさなどで、やり取りの最後では涙ぐんでいました。
私としてはそのままにしておくのはよくないと思い、ハローワークの障害者担当職員に相談をしました。「ハローワークといういわば第三者が入ることによって、Aが会社からいじめを受け、退職させられるなど不利になるとは考えませんか?」という懸念も聞こえました。しかし、私はハローワークを定期的に訪問し、様々な相談をしていました。職員とも意思疎通が十分できていたので、そのような不安はありませんでした。
その後、現場指導員は他の人に変わりました。それから10年以上が経ちました。Aは今も同じ職場で働いており、会うと人なつっこい笑顔で挨拶をしてくれます。彼のよいところを会社にも理解してもらっているように私は思います。
指導員が、なぜかたくなにAを否定したのかは正確にはわかりません。その方は以前の会社でこの特例子会社の社屋を清掃していました。特例子会社の立ち上げ時に、そのまま指導員になった方でした。急に知的障害者の指導員となり、どうしたらよいのか、戸惑いもあったでしょう。私は、この方だけが特殊な考えを持っているとは思っていません。
三十数年前、教員になった頃は障害者を取り巻く環境は今より厳しく、この指導員のような対応をしても、人から「差別だ!」と批判されることが少なかったように思います。咎められることがなかった時代は、確かにあったのです。
私が学生の頃に国際障害者年(1979年)があり、「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ系列)が始まり、日本人の意識がしだいに変わってきました。少なくとも、今は建前的には「差別をしてはいけない」ことになっています。それでも、実際は「障害者にはこんな仕事もできない」と見下す人は少なからずいます。残念ながら、障害者と接したことのない健常者の平均的な見方でもあるのだろうと思います。
でも、彼ら、彼女らと一緒に働くうちに考えを新たにする方もたくさんいます。障害者雇用の現場で「この人なら安心して生徒を任せられる」と私が感じた人は、健常者の人が多い職場でも部下から慕われるのではないでしょうか。
「使える、使えない」といった言葉は、もちろん聞いたことがあります。私は教育者ですから、そのような言い方はしないようにしてきました。力不足な点があるのは、だれでも同じです。どこでつまずいているのかを考え、乗り越える支援をすれば、しっかり成長はします。その支援の繰り返しで、人は育つのではないでしょうか。上司が「あいつは使えない」と言っている限り、部下の成長はそこでストップしてしまうでしょう。どうしたら乗り越えられるか、と考えるのが指導する立場の人の本来の役割だと思います。