日本の漁業は崖っぷち

2012年7月17日

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片野 歩 (かたの・あゆむ)

水産会社社員

東京生まれ。早稲田大学卒。2015年水産物の持続可能性(サスティナビリティー)を議論する国際会議シーフードサミットで日本人初の最優秀賞を政策提言(Advocacy)部門で受賞。1990年より、最前線で北欧を主体とした水産物の買付業務に携わる。特に世界第2位の輸出国として成長を続けているノルウェーには、20年以上、毎年訪問を続け、日本の水産業との違いを目の当たりにしてきた。著書に『日本の水産資源管理』(慶應義塾大学出版会) 『日本の漁業が崩壊する本当の理由』『魚はどこに消えた?』(ともにウェッジ)、『日本の水産業は復活できる!』(日本経済新聞出版社)、「ノルウェーの水産資源管理改革」(八田達夫・髙田眞著、『日本の農林水産業』<日本経済新聞出版社>所収)。

(図2)北海道でのニシン水揚げ推移(出所:留萌水産物加工協同組合)
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 仮に、あまりにも漁獲枠が減って、単価が上昇しても水揚げ金額が増加しない場合も考えられますが、そんな時でも漁業者は文句を言いません。資源回復を待って将来に備えたほうが得だとわかっているからです。特定の魚種だけ管理しているわけではないので、ニシンが減ってもサバが増える等、他の魚種だけでも十分にもうかる構造を作りあげています。

 一方で日本では、何でもかんでも魚を獲ろうとしてしまうので、様々な魚種が減少して、ノルウェーと逆の現象が起きてしまっています。ノルウェーは、非常に巨額な元本(=親魚)を残して高い利率で利子(=生まれてくる魚)を大きくしながら漁獲を続けていきます。常に魚を見つければ獲り続け「海から魚を借りて借金生活を続ける日本の漁業」とは、非常に大きな違いがあることがお分かりになるかと思います。 

復活の兆しは何度かあった

(図3)北海道からニシンが消えたといわれた1957年以降の水揚げ推移
グラフからわかるように、1957年以降も何度か水揚げ復活の兆しはあった。しかしながら、波状攻撃のごとく乱獲を続けたために、本当にほとんどいなくなってしまった。今すぐにでも最低10年は禁漁にすべきだろう。時間さえ確保できれば資源は回復できることは、歴史が物語っている(出所:農林水産省データより筆者作成)
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 日本のニシン漁全盛期の1887年~1927年の約40年もの間の水揚げは、上記のノルウェーの水揚げ量と同じ、60万トン前後もありました(図2・図3)。日本にもニシンは大量にいたのです。しかし、資源管理のルールがなかったために、ソーラン節を歌いながら資源を破壊してしまい、衰退とともに、ニシンはどこへいった? と哀しみの石狩挽歌が歌われるようになってしまったのです。食べ尽くしてしまったのでチーズ(=ニシン)は消えてしまったのです。じっと待っていても、新たなチーズはなかなか現れません。

 ニシンがいなくなった北海道では、ホッケ、サンマ他の水産物でカバーされてきましたが、もしノルウェーのように漁獲枠を設けて資源管理をきちんと行っていたのならば、今日とは全く違う展開になっていたことでしょう。数の子をアラスカやカナダから輸入することは、ほとんど無かったと思います。

 日本の資源が枯渇した恩恵は、アラスカとカナダが受けています。日本人は、日本以外では市場価値がない数の子を、生産技術を教えて非常に高い価格で競って買付けてきました。現在でも両国はきちんと科学的に資源量を測りながら漁獲枠を設定して漁を続け、毎年数の子を供給し続けています。資源管理ができていれば、日本で数の子を生産し続けることができたわけで、巨額のお金が毎年水揚げ地の周辺に落ち続け、多くの関連産業が育っていたはずです。実にもったいない話です。

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