タイは学生を中心とする若者による抗議運動の高まりで揺れている。抗議運動は、2月21日にタイの憲法裁判所がプラユット政権を批判する民主派の野党「新未来党」(下院の議席数で3番目)に解散命令を出したことに対する抗議として始まり、バンコクを中心に高まりを見せた。タイ政府は10月15日、バンコクに、5名以上の集会を禁止する非常事態宣言を発令し、警察がデモ隊を排除したが、非常事態宣言にもかかわらず連日数万人規模の抗議活動が続き警官隊と衝突、日に日に緊張が高まった。タイ政府は緊張を和らげるべく、22日に緊急事態宣言を解除しデモ隊に譲歩したが、その後もデモは続き、デモ終息の見通しは立っていない。
デモ隊はプラユット政権の退陣、憲法の改正、王政の改革を求めている。中でも注目されるのは王政の改革の要求である。これまでタイでは王政批判はタブーとされてきた。不敬罪があり、王室を批判すると最長で15年の刑に処せられることとされていた。
今回大っぴらに王室改革が求められた背景には国王の交代がある。前のプーミポン国王が国民からの敬愛を一心に集めていたのに対し、今のワチュラロンコン国王は、その言動に批判が多い。前国王に比べ人格者でない、1年の大半を国を空けドイツで過ごす、王室の財産を王室財産局の管理から国王自身の財産にした、国王の権力を憲法に期待された立憲君主としての地位を超えて拡大しようとしている、などである。
10月20日付けのワシントン・ポスト社説‘A student movement offers a ray of hope for democracy in Thailand’は今回の動きについて、「タイにおける民主主義が何年もの抑圧を経て復活しうる希望の光である」と言っているが、あながち誇張とは言えない。
かつてタクシンが首相となった時、バンコクを中心とするエリート層は反発した。タクシンはタイ東北部を中心とする数で勝る農村部で圧倒的な支持を集め、選挙をやればタクシンが勝つこととなる。これに対し、タクシンが首相になるのを妨害するため、新しい憲法では上院議員も首相の任命に参加するが、その上院議員はすべて任命とし、当時のプラユット元陸軍司令官の政権の意向が反映されるように図った。これは民主主義の原則を曲げた典型的な例である。
その背景には王室、軍、有産階級の結びつきがタイの政治を支配してきたという事情がある。人口から言えば農村地帯の方が多いのであるが、王室と軍に近いバンコクを中心とする有産階級の政治的発言力の方が強かったというのが実態であった。また、タイは依然として階級社会の様相を帯びているように思われる。これが微妙な形で政治にも反映されていると言えるのかもしれない。
学生を中心とする抗議運動は、このような社会的慣性を打つ破る力を持っている可能性がある。ただ、抗議運動が掲げているプラユット政権の退陣、憲法の改革、王政の改革は容易に実現しそうにない。当分の間、タイは抗議運動で揺さぶられ続けるのではないかと思われる。
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