2022年10月1日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2012年9月7日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

 当時の日本では博士号をなかなか出してもらえませんでした。教授の立場からすると、博士号を出しても就職先がないのはとても辛いことなのです。博士課程に入れてもらえなかったので、修士課程を出たあと民間の研究所に就職しました。ところが3年後に、運良くアメリカ留学の機会が巡ってきました。その時はここで博士号を取らなければ一生取れないと思いました。千載一遇のチャンスを掴もうとしてがんばったわけです。若かったのでまだ体力がありましたし、留学した学科では私が初めての日本人だったので日本国を背負っているという気持ちで勉強しました。

――他の留学生の人たちも同じくらい猛烈に勉強されていたのですか?

今野氏修士課程の人はもう少しゆっくり勉強していたのではないでしょうか。ただ、博士課程の人たちは同じように必死に勉強していましたね。当時、経済学の博士課程に役所を休職して留学している方がいましたが、その人は、日本人留学生と付き合うと勉強に支障をきたすと考えたようで、資格試験をパスするまでは中国人を装っていました。私も長い間この人を中国人だと思っていました(笑)。

――見事スタンフォード大学で博士号を取得後、今度は教官としてウィスコンシン大学やパデュー大学へも行かれました。昨今、日本ではグローバルに活躍できる人材の育成が話題になっていますが、アメリカの大学に学生として、また教官として携わった経験からアドバイスはありますか?

今野氏アカデミックな業界とビジネスの世界では事情が違うと思います。理工系研究者の場合は専門的知識が十分であれば、多少英語が下手でも対等に戦うことができます。世界各国から集まってくる研究者は、みなブロークンイングリッシュでやりあっています。外国人だけではありません。アメリカ人でもめちゃくちゃな英語を話す人はいくらでもいますから(笑)。

 ただ、よく言われることでもありますが、向こうに行って自分が日本について何も知らないことに当惑させられました。アメリカではよくパーティーが開かれます。そういった場所には掛け軸や歌舞伎が好きな人が何人かいて、日本の文化の話題が出ます。しかし、私には日本文化に関する素養がありませんでした。そういう素養があれば、恥をかかずに済んだでしょう(笑)。

 ビジネスの世界のことはよく知りませんが、エンジニアとして世界中を飛び回っている息子の話を聞く限り、専門家同士であればあまり苦労はないようです。言葉のハンディキャップはいつまでたっても残りますが、専門知識を武器に場数を踏むことが大事ではないでしょうか。

今野浩(こんの・ひろし)
1940年生まれ。東京大学工学部応用物理学科卒業、スタンフォード大学大学院オペレーションズ・リサーチ学科博士課終了。Ph.D.、工学博士。筑波大学助教授、東京工業大学教授、中央大学教授等を経て、現在東京工業大学名誉教授。著書に『スプートニクの落とし子たち』(毎日新聞社)、『工学部ヒラノ教授』(新潮社)など。


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