早いもので1年の留学期間も終わりを迎え、帰国の日がやってきた。ハーバードではサマースクールの準備が始まり、9月からの新入生が寮に入るための引っ越しも始まった。振り返ると時の過ぎるのは本当に早いものだと実感するとともに、米国で世界の中の日本や日本人である意味を深く考えた一年だった。
そもそも日本にとじこもらず、米国から広く世界を出てみたいという学生時代からの思いを遅ればせながら達成した今回の留学だったが、家族や勤務先など周囲の理解を得て実現できたことは本当にありがたいことだった。ハーバードでは、米国の企業経営やエネルギー政策に関する研究を行う一方で、専門外の分野についても幅広い勉強をすることができたことは大きな収穫だった。
留学期間中強く感じたのは、自分の年齢や置かれた環境を問わず、日本から海外に飛び出して生活し、勉強することは視野を広げるという点で非常に意義があるという点だ。日本の社会は、年齢や会社の年次などに非常にこだわっている。米国や他の国々では個人のキャリアというものをもっとフレキシブルに考える。組織の柔軟性も高い。
社会人経験を積んだ大学院生
米国人の中で、自ら企業経営を行いながら大学院で学んでいる人や、大企業を休職あるいは退職して自費で勉強する人などの姿を見るにつけ、30代半ば以降の年齢に達してからも積極的に学ぶ人たちがいかに多いかということを思い知らされた。もちろん日本人の中でもそうした人はいるが、米国の方が数は圧倒的に多い。社会人経験を踏まえて身につけた知識で一段の高みに飛ぼうとする姿勢には正直、敬服させられる。
自分が変わったと思う点は、様々なテーマについて、他者が自らと異なる意見を持っていても耳を傾ける姿勢が身についたことだ。以前なら自分の意見と異なる場合には「そんな見方は全く間違っている」と断じて一方的な見方に固執しがちだったが、米国で他者が実にいろんな意見を述べる様子を見て、「もしかしたらそういう見方もあるかもしれない」と客観的に考えることができるようになった。
英語に関する考え方も変わった。以前は米国人が話すように流暢に話すことが大事だ、という観念に強くとらわれていたが、他の国の出身者がそれぞれのアクセントで堂々と話す姿をみて、多少のぎこちなさがあっても、自分の英語でしっかり主張できる話をすればよいのだという考えに至った。同時に日本の英語教育の大きな課題として、試験のための英語ではなく、日々の生活やビジネスで実際に使える形で教えないといけないということも実感した。