2022年10月1日(土)

オトナの教養 週末の一冊

2012年9月7日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――“工学部の語り部”として、工学部の実態についてこれまでも執筆されてきましたが、その動機は何でしょうか?

今野氏20世紀後半の日本の経済的繁栄を支えたのは製造業です。製造業大国の日本を支えてきたのは優秀なエンジニアであり、工学部であると私は確信しています。それにもかかわらず、世の中の人たちは工学部について何も知らないばかりでなく、知ろうともしなかった。だから、世の中の人たちに工学部の実態やエンジニアについて私が見聞きしたことを伝えたいと思ったのです。

――本書にはスタンフォード大学留学時のエピソードが登場します。今野教授にとってもスタンフォード大学への留学は人生の転機だったと思います。しかし、今野教授が留学した1968年当時というのは今と違って簡単に海外留学できる時代ではなかったと思いますが。

著者の今野浩氏 (写真:今野氏より提供)

今野氏今から44年前の1968年当時は、海外留学をする人が少なかったのは確かです。当時のスタンフォード大学には、1学年に20人ほどの留学生がいました。修士課程の学生の大半は企業から派遣されている人でした。一方、博士課程の留学生は経済学や心理学など文系の人が多く、私のような工学系の留学生は3分の1程度でした。

 というのも、日本の工学部教授は、能力が高くて自分の研究に貢献してくれそうな学生を手元に置いておきたいという気持ちがあったのです。そのような風潮を振り切って海外留学する人は、相当なお金持ちか、アメリカで一旗揚げようという意気込みがある人でした。ちなみに相当なお金持ちのなかには、民主党の鳩山由紀夫元首相もいました。

――留学してもっとも驚いたことは何でしょうか?

今野氏大学院教育が日本と決定的に違っていることにショックを受けました。日本の大学の工学部では教授は学部教育には熱心でしたが、大学院教育は手を抜いていました。実際に私は東京大学の修士課程で過ごした2年間でまともな講義はひとつしか受けていません。

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