「第1歩は日本、第2歩が中国、第3歩はまた日本…。しかし最も重要なのは第1歩」。こう漏らした中国外交当局者が「第1歩」として日本に責任を帰するのは4月の石原慎太郎の尖閣買い取り表明だ。ここから直近の尖閣問題をめぐる悪循環が始まったというのが中国政府の一貫した論理だ。
一方、日本側は、8月12日に香港を出航し、15日に尖閣に上陸した保釣活動家らの動きを「第1歩」とみている。
香港の活動家らがなぜ、尖閣に向かおうとしたのか。8月12日の出航に先立つ同月4日、山谷えり子参院議員を会長とする超党派「日本の領土を守るため行動する議員連盟」は、戦時中に遭難した疎開船の犠牲者の慰霊祭を行うため19日に尖閣に上陸できるよう許可を政府に申請する動きが表面化。香港の活動家らはこれを阻止しようとしたのだ。
しかし日本政府が山谷らの上陸申請を却下したのは13日で、既に保釣船は出航した後だった。これに対して「日本政府が迅速に申請却下を出していれば、香港の活動家の行動は違ったのではないか」というのは当然の意見だ。
日中双方の「誤算」
さらに言えば、中国政府は決して、保釣活動家が尖閣に向かうことを許容したわけでも、日本に圧力を掛けるため、活動家を後押ししたわけでもなかった。中国当局は香港当局に対して出航させないよう圧力を掛けたとみられるが、出航後の保釣船に乗り込んだ香港水上警察の警官は強制的な対応を取らず、結局、出航を容認してしまった。その背景には、人気がガタ落ちの中、持論の「愛国」を前面に出すため尖閣行きを容認しようと目論んだ香港の新行政長官・梁振英の「暴走」があったとの見方も強い。
「釣魚島への上陸を果たし、英雄視された曽健成は反共主義の民主派で、上陸した際に中華民国旗を立てた。あれを見て中国政府として快く思う訳がない」と中国外交筋は言い放った。
日中双方に「誤算」はあったものの、保釣船が香港を出てから、両国政府は緊密な連絡を保った。「東京では官邸と駐日大使館の幹部同士が連絡を取り、けが人を出さないよう確認した」(日中関係筋)。その結果、保釣船は、海上保安庁巡視船を振り切り上陸した。その背景には、日中双方とも苦い過去があったからだ。
海保と活動家の接触は避けよ
香港の保釣活動家・陳毓祥が1996年、尖閣海域に到着し、泳いで上陸しようとしたが溺死した。中国政府には当時のインパクトが今も脳裏に焼き付いている。「海保に対して穏便に対応してほしい。何か事故が起こるとわれわれもじっとしていられない」(中国外務省関係者)というのが中国側の訴えだった。