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2021年4月13日

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樫山幸夫 (かしやま・ゆきお)

元産經新聞論説委員長

元産經新聞論説委員長。政治部で中曽根首相番、竹下幹事長番、霞クラブ(外務省)詰め、ワシントン特派員、同支局長、外信部次長、編集局次長、正論調査室長兼論説委員、産経新聞社監査役を歴任。2度のワシントン勤務時代は、ホワイトハウス、国務省などを担当、米国の内政、外交など幅広く取材した。

 菅首相とバイデン米大統領の初めての会談が4月16日に迫った。

 大統領就任後、ワシントンに招かれる外国首脳としては初めてとあって首相はご満悦のようだが、問題は会談の内容だ。

 アメリカが、中国問題などをめぐって、日本に対してきびしい政策に同調するよう要請、日本が対応に窮する事態も予想される。

 戦後、さまざまな機会に行われてきた日米首脳会談の多くは、同盟関係の強化など所期の目的を達してきた。その反面、時に思わぬ結果をもたらし、むしろ両国関係の緊張を招いたこともないわけではなかった。

 同盟深化の実現か。それとも、良好な関係にカゲを指す結果になるのか。

(Oleksii Liskonih/gettyimages)

過去の会談は3パターン

  日本の首相と米大統領による過去の会談を振り返ってみると、筆者の「独断と偏見」ではあるが、いくつかのパターンに分類することができよう。

 ひとつは、日米の同盟関係を発展・強化させるという本来の趣旨に沿った前向きのパターン。

 第2は、貿易摩擦など軋轢が高まり、その修復を目的とした〝直談判〟が行われたケースだ。

 結果によって、むしろ両国間の不信や疑念を生む結果になってしまった不幸な会談もあった。

「尖閣」で同盟深化 安倍ーオバマ会談

 最初のパターン、日米関係の深化に大きく寄与したケースをみると、1960(昭和35)年1月の岸ーアイゼンハワー、1996(平成8)年の橋本ークリントン会談などがその範疇に入る。

 岸信介首相とアイゼンハワー大統領は、新しい日米安全保障条約の署名を受けて、「信頼及び協力の原則に基づく両国関係の新しい時代をひらく」(会談後の共同声明)ことについて意見交換した。

 冷戦終結後、国際情勢が多様化する中で行われた橋本龍太郎首相とクリントン大統領の会談では、安保条約にあらたな性格付けを行う日米安保共同宣言が公表され、強固な同盟を象徴する機会となった。

 最近では2014(平成26)年4月に来日したオバマ大統領と安倍晋三首相の会談が意義深かった。

 オバマ大統領は、首相との共同記者会見で、中国が不当な領有権を主張する尖閣諸島について、「日本の施政下にあり、日米安保条約が適用される」と明確に認めた。

 しかし大統領は、尖閣の主権がどこの国に属するかについては、「特定の立場をとらない」と慎重なところをみせ、「日本の領土」という発言を期待していた日本側を失望させた。

 そのちょうど1年後に再び来日したオバマ氏は、やはり尖閣に安保条約が適用されると言明。このときは、主権に関する発言は聞かれなかった。大統領が日本の領土であると認めたわけではないにせよ、従来の姿勢から変えたことは大きな前進だった。

 1969(昭和44)年11月、佐藤栄作首相の訪米では、ニクソン大統領との間で、戦後日本の念願だった沖縄返還実現という歴史的な会談が行われた。

 このときの共同声明には、中国の台湾への武力侵攻、朝鮮半島の有事を念頭に「台湾における平和と安全は日本の安全にとって重要な要素」、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要」とそれぞれ明記された。

 沖縄を返還するからには、米国は日本に対し、東アジアにおける積極的な役割分担を求め、日本もそれに応える決意を披歴した一節だった。 

 しかし、当時は冷戦の真っただ中、ベトナム戦争が依然続いている時期であり、日本国内の革新勢力を中心に、米国の世界戦略に組み込まれるなどと反発、後々まで論議の的となった。

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