2024年12月22日(日)

DXの正体

2021年7月14日

 父親から「お前には継がさん」と言われたものの、NTTのシステムエンジニアから家業である奈良県天理市の自動車整備業(兼不動産賃貸業)の会社に帰った藤堂高明さん。廃業寸前だった事業の再建を行い、同業者のM&Aを繰り返すことで年商を30倍、約50億円にまで急成長させた。そしてその経営再生ノウハウをプラットフォーム化したSaaSを今年リリースし、上場を視野に現在活動している。

著者と藤堂さん(右)

 2003年、30歳のときにNTTのシステムエンジニアから実家が営む、自動車修理整備兼と不動産事業を行う会社に戻った藤堂高明さん(47)。自動車修理整備部門は毎年7000万円の赤字があり、不動産事業で穴埋めしていた。4年後には父親が他界し、17億円の借金が残された。

 「自動車修理整備部門はたたんで、不動産事業1本で行ったほうが楽ですよ」というアドバイスを受けたが、そのことで逆に「自動車整備を黒字化させる」と、心に火が付着いたという。

 まず行ったのは、新規顧客の開拓だ。それまでは既存顧客の車検だけを取り扱うという状態だった。メーカーの看板ない町の自動車工場に必要なのは、顧客との信頼関係。適正価格という安心感を前面に押し出すことで、徐々に顧客を増やした。

 そこで気が付いたのは、地域の同業他社が、父親と同じような経営をしていることだった。売上が伸びず、事業継承も難しい。そんな会社をM&Aをしたり、土地建物はそのままで営業権を買ったりするという一見すれば無謀とも思える手に打って出た。

 「(買収した)40件中37件は赤字でした」と、藤堂さんは事もなげに笑うが、背景には戦略があった。

 大学を卒業後、1997年にNTTに就職。入社直後の研修は出身地で受けさせるという方針のもと、奈良支店に配属になった。「前年踏襲」で、先輩たちがやってきた仕事をそのまま引き継いで行うというのが、「どうも面白くない」と、当時インターネットの黎明期であったこともあり、「電話と通信」をセットにした営業を思いつき、それを実行した。

 結果は上々で、上司が新たに派遣社員を部下として付けてくれ、「4人でもっと売ってみろ」と、後押ししてくれた。ところが、いざ3人に営業をさせてみると上手くいかない。終いには「もう嫌です」と泣かれる始末だった。そこで自分でやってみて上手く行ったことをマニュアル化して実行させてみると、結果が出るようになった。

 この経験が、自動車整備会社のM&Aにも生きたという。藤堂さんは「業界に特化すると標準化することができるんです」と話す。これは、デジタルトランスフォーメーション(DX)と共通する考え方だ。現場に埋もれている暗黙知を、皆が知ることができる形式知に転換する、つまり、パターン化である。

 M&Aとパターン化の繰り返しの中で、事業の幅も保険、中古車販売などへと広がり、顧客の数も5万人を超えるところまで増えた。

実家に帰るという決断

 藤堂さんの父は、自らの父から強いられて事業を継いだため、自分の子どもには好きなことをさせてやりたいという思いから、藤堂さんに対しては「お前には継がさん」と、常々言っていた。しかし、そこは「血」だろうか。子どもをNHK交響楽団に入れることが夢だった父は、藤堂さん兄弟に、幼いころから「音楽」をすることを強いたという。結局、弟が音楽の道に進むこととなり、音大にまで行った。オーケストラの世界は収入が不安定ということで、「家業を継がせるのは弟に」と考えていたそうだ。

 ところが、弟もオーケストラとは違う音楽の道で、自立してしまった。一方の藤堂さんは、NTTが分割され、NTTコミュニケーションズに配属されていた。インターネットを利用したコンテンツ配信を成功させるなど、仕事は順調だったが、「B to B」ではなく「C to C」のビジネスがしてみたいと考えていた。大手電機メーカーなど、新たにインターネット事業を拡大しようとする企業からヘッドハンティングの声もかかった。

 そんなとき実家に戻ると、父親から「もともと起業するつもりだっただろ。それなら、この会社を継げばいいじゃないか」と、これまでとは違う言葉をかけられた。それが、NTTを辞めて、実家に帰るきっかけとなった。

 2003年3月、万を超す社員がいる大企業から、社員24人の会社に入ったギャップは大きかった。入社して間もないある日のこと、工場のNo2に呼び出され「俺の舎弟になれ」と、恫喝された……。


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