1954年北京生まれ。83年中国人民大学を卒業後、90年に中国社会科学院で経済学博士学位を取得。天則経済研究所を設立、制度の起源と変遷に特化した研究に従事。同所のコンサルティング業務を通じて得た中国の制度理解に即し、公民を包摂する方向に制度を調整する解決方法を提案してきた。制度経済学の中国経済分析の応用を行い、ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースの著作の中国語訳実績多数。
胡錦濤政権から習近平政権の移行へのカウントダウンが始まった2011年頃、中国のシンクタンクのエコノミストや大学の研究者から、「習近平は話を聞いてくれる指導者になるかもしれない」という発言がちらほら聞こえてきた。習は幅広い分野の知識人を訪ね「どんな政策が必要か、ぜひ積極的に提言をしてほしい」と会談して回ったという。それに呼応して、さまざまな改革案が提案された。
胡錦濤政権は、世界銀行に依頼し、中国国務院直轄の政策研究所「国務院発展研究センター」と共同で中国の長期の改革課題を検討する「China 2030」の作成に入った。こうした主流派・改革派だけでなく、マルクス主義を標榜する左派は、「党の力をより強化し、米国に対抗しよう」といった主張を展開していた。その対極から、「憲政に基づいた市場経済を作ろう」「国有企業の問題を市場競争の公平性の観点から議論しよう」という提案を展開したのが、天則経済研究所長・盛洪のグループであった。
彼らは、「憲法のもとでは、国有企業と民営企業の地位は平等であり、すべての企業がどの市場にも自由に参入できるはずだ。民営企業が参入を禁じられている市場があること自体がおかしい。改革開放以降の中国の国有企業は、資産と利潤を増やすという私的な目的のみを課されているが、国有企業を、公益性を追求する存在として再定義し、国有企業の経営成果を全国人民代表大会(全人代)に報告し、監督を受けるべきだ」と主張したのである。
こうしてスタートした習政権は、13年11月、施政方針報告に相当する18期三中全会の決定を発表する。この決定では、政府機能の転換、経済から社会、反腐敗のための司法に至る60条からなる改革案を示した。ここに、「公益性の追求を任務とする国有企業」という概念が登場し「行政独占の撤廃」も明記された。これは中華人民共和国建国以来初めてのことで、盛のグループの建議の一部が採用された形だ。
盛は天則経済研究所の発起人である。1993年に盛が設立を決め、当時社会科学院を定年退職する直前の茅于轼(マオユシ)に参加を乞うた。総勢5人の経済学者が自身で資金を調達して純民営のシンクタンクを設立した。
92年、鄧小平が南巡講話で改革を再起動する、と宣言し、計画経済から市場経済への転換という壮大な実験が始まった。しかし、どのように改革を進めるべきか、まったく海路図がない。そこで、経済学の知見の「社会実装」を進めていこうという機運が盛り上がっていた。