もちろん、銀行部門全体としてはこのようなことはない。大手都銀、上位地方銀行は、期間の長い国債を持っていないし、株や海外資産を持っているので、国債の下落をこれらの資産の増価で相殺できる。しかし、下位の地銀には、資産の相当部分が長期の国債であるような銀行があるのだろう。日銀は、銀行の番人であるから、こうなったら困ると考えるのは当然である。だから、これまで金利が上がらないようにデフレ政策を続けてきた。日銀理論とはまやかしで、デフレ政策を続けるためのカムフラージュにすぎない。
しかし、20年のデフレが続いた後、ついに金融政策について真剣に考えた総理が現れて、日銀理論のまやかしを見抜いた。見抜かれた以上、従うしかない。従ったうえで、銀行の番人として、銀行がなるべく影響を受けないようにするにはどうしたら良いかと考えているに違いない。
日本銀行は、金融政策の専門家と世間には思われている。しかし、銀行の番人として、銀行の利害、しかもその中のごく一部の銀行の利害の代理人にすぎないのである。
日本の専門家の多くは、利害の代理人にすぎない。原子力の安全を審査する専門家ですら、暴走を始めた原子炉をどう制御したら良いか分からなかった。あまりコストのかかる安全策を採ったら電力会社に迷惑がかかるから止めておこうという専門家だった。これでは専門家ではない。利害の代理人である。日本で専門家とされている人が利害の代理人なら、すべてのことを専門家ではなくて政治家が決めた方が良いのではないか。
政治家はもちろん、利害の代理人である。しかし、すべての国民ではなくても、多くの国民の代理人であることが制度的に担保されている。日銀官僚は銀行の中のごく一部の銀行の利害、原子力専門家は電力会社の利害しか代表していないが、選挙区民の数十%の票を得なければならない政治家は、より広い範囲の国民の利害を代表する。
政治家が、利害の代理人を専門家だと認識すれば、決定は人任せになってしまう。専門家が決めたことなら正しいのかと思ってしまうからだ。だから、政治家が、専門家は特定の利害の代理人でしかないと認識し、その上で、様々な利害関係者の意見を聞いた上で政策を決定した方が、より優れた決定を行えるのではないか。
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