2022年12月4日(日)

スポーツ名著から読む現代史

2022年4月7日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

 代わりに、ジョーンズが考え出したのが前年の主要大会優勝者らを招待して開くトーナメントの開催だった。34年春、第1回の招待ゴルフトーナメントが開かれることになった。招待選手の選抜に当たり、コース建設時の出資者としてジョーンズとともに汗を流し、後にマスターズ・トーナメントの会長として剛腕を発揮するクリフォード・ロバーツは、強豪のそろう大会なので、「マスターズ」の名称にしてはどうかと提案したが、ジョーンズは「あまりにも誇示した名前だ」と反対した。ジョーンズの謙虚な姿勢が反映しているエピソードだが、ジョーンズの反対にもかかわらず、39年の大会から「マスターズ」は正式名称となった。

「剛腕」による大会のブランド化

 第二次世界大戦が始まると、オーガスタ・ナショナルも受難の時期を迎える。もともと陸軍の宿営地があったオーガスタの街が軍の駐屯地となり、オーガスタ・ナショナルのコース内も七面鳥の飼育場とされ、芝生やさまざまな植栽も荒れ放題となった。

 45年夏、戦争が終わると急ピッチで復興工事が行われた。荒れた土を掘り返し、芝を植え替え、植栽を整えた。その労力となったのはドイツ軍の捕虜だった。

 48年、今度は病魔がジョーンズを襲った。脊髄の骨が異常に成長し、激痛が体を走り、背中にけいれんが起こり、衰弱して委縮する難病「脊髄空洞症」と診断された。ジョーンズの車いす生活は71年に亡くなるまで続いた。その間、マスターズは剛腕・ロバーツのもとで厳格すぎるほどの厳しい規律の元、成長を続けた。

 ロバーツの「剛腕」ぶりを象徴するのがテレビ放映をめぐる厳しいチェックだ。米3大ネットワークの一つ、CBSマスターズのテレビ放映を始めたのは56年からだが、ロバーツは放送内容を厳しくチェックし、カメラアングルからCMの入れ方まで細かく注文を付けた。

 解説者らの不適切な表現や品位を落とす発言があると、たちまち降板を要求。CBSとは毎回1年契約で、ロバーツ側の要求が通る仕組みになっていた。そのロバーツは77年9月27日の未明、クラブハウス東側の池のほとりで拳銃自殺し84年の生涯を閉じた。ジョーンズとロバーツの2トップ体制は終焉となる。(同書129頁)

 1950年代はサム・スニードとベン・ホーガンの激しい優勝争いがゴルフファンを熱狂させ、60年代に入るとアーノルド・パーマー、ゲーリー・プレーヤー、ジャック・ニクラウスの3強が激しい争いを続け、ゴルフ人気は盛り上がった。達人たちの素晴らしいプレーは「マスターズ」の大会としての権威を高め、4大大会の中でも最も人気と注目度の高い大会としての地位を不動のものとしていった。

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