2022年12月4日(日)

スポーツ名著から読む現代史

2022年4月7日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

 アトランタから240キロメートルほど東のリゾート地がオーガスタだ。冬でも温暖な気候に恵まれ、富裕層の避寒地としても知られていた。

 オーガスタの知人から「フルーツランド」と呼ばれる365エーカーのなだらかな丘陵地が空き地になっているとの情報が入った。もともとは19世紀にベルギーの貴族が果物の種苗場にしていた土地で、その後、リゾートホテルの建設計画があったが、資金難で工事は中断、空き地になっていた。初めて訪れたジョーンズは「この土地は、誰かが来てゴルフコースにしてくれるのを待っていたんだ」と、一目で気に入った。(同書58頁)

コース設計へのこだわりと「マスターズ」の誕生

 ジョーンズはコースの設計も自分が直接携わるつもりではいたが、片手間でできることではない。そこで白羽の矢を立てたのが英国人の名匠、アリスター・マッケンジー(1870~1934年)だった。ジョーンズは29年、マッケンジーが設計したカリフォルニア州ペブルビーチにある風光明媚なゴルフコース、サイプレス・ポイントでのプレーに招かれたことがあり、自然の美しさをそのまま生かしたコース設定に感激したのだった。

 マッケンジーのコース設計にはいくつかの哲学があった。まず、ゴルフは多くの人が楽しめるものでなくてはならない。そのうえで、興味の尽きないコースとは、それを征服するだけの戦略と技術が要求されるコースでなくてはならない。つまり、平均的なプレーヤーにも、またエキスパートにも満足させられるコースが理想だ。

 ジョーンズもその哲学に賛同し、こう説明している。「ここは非常にやさしくもあり、非常にタフでもあるコースだ。考えて打てばバーディーが取れるはずだし、考えないで打ったらダブルボギーになるようになっている」(同書65頁)

 約3年の工期をかけてオーガスタ・ナショナルGCは1932年5月に完成した。マッケンジーは当時、スコットランドに戻っており、完成したコースを見ることなく34年に亡くなった。息を引き取る前、「オーガスタ・ナショナルは、私の最大の仕事であり、最高の出来栄えだ」と言ったという。

 ジョーンズもマッケンジーの仕事に満足していたが、一つだけ修正を加えた。前半と後半の9ホールを入れ替えたのだ。だが、わずか1年でマッケンジーの設計通りに戻すことになった。10番ホールを1番にすると、朝の早い時間帯、霜が降りて使えないことが分かったためだ。すべてに計算が行き届いたマッケンジーの設計思想の凄みが表れたエピソードとなった。

 ジョーンズには一つの夢があった。自分が作ったコースで全米オープンを開くことだ。しかし、毎年6月に行われる全米オープンは、酷暑の南部では開催しないという全米ゴルフ協会の不文律があった。6月のオーガスタは気温が38度にも達するため、オーガスタ・ナショナルGCも5月半ばから10月中旬までは閉鎖する。ジョーンズは全米オープンを3月か4月に移せないかと全米ゴルフ協会に提案したが断られた。(同書74~75頁)

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