2月24日にロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したときに、多くの人々は圧倒的な戦力バランスの非対称性を根拠に、強大なロシア軍を前にしてウクライナがそれに抵抗することは不可能だと認識していた。むしろ犠牲を少なくするためにも、早期にロシアとの停戦交渉を行い、ウクライナこそがロシアに譲歩を示すべきだという声や、もはや降伏するべきだという声が日本の内外から聞こえてきた。そのような疑念を払拭するためにも、ゼレンスキー大統領はチャーチルの言葉を参照して、宥和政策を拒絶する強い意志を示す必要があったのだ。
「贖罪の羊」となった
チェコスロバキアの悲劇
国際政治とは基本的には、権力政治(パワー・ポリティクス)により動いている。とりわけ19世紀の欧州では、大国間政治を基礎とした国際秩序が成り立っており、その中で小国の存立と安全はあくまでも大国の意志によって決定されていた。そのような国際政治は、20世紀になると大きく変化していった。国際連盟成立により戦争の違法化が進み、一国に対する侵略を国際社会全体の平和と安全に対する挑戦と受け止めて、集団安全保障により侵略を阻止する設計図が創られた。
だが、結局はそのようなリベラルな国際秩序は1930年代に挫折する。大国は……
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