また1990年代前半には、山西省の大同から河北省の秦皇島まで石炭を輸送する「大秦線」の建設のために総工費の約15%・159億円が投じられた結果、90年代半ば以降山西省・内モンゴルからの輸送能力は倍増し、沿海部8省・直轄市の総発電量は事業の前後で1.61倍となった。中国の電力事情が劇的に改善し、「高速発展」という言葉が頻繁に用いられ始めたのはまさにこの頃である。
さらに1990年代後半には、内モンゴルのオルドス周辺で産出される石炭を渤海沿岸の黄驊港へ運ぶ「朔黄線」が603億円の円借款を投じて建設され、東北~華南各地区の石炭消費の3~4%前後を担うほどになった。その完成によるエネルギー事情のさらなる好転が、2000年代における雪崩を打ったような中国への海外からの企業進出を可能にしたことは想像に難くない。
しかし、このような円借款による鉄道建設の歴史が、そのまま環境への絶大な負荷と官僚汚職にまみれたバブル経済を加速させたことは否定しようがない。石炭バブルに沸いたオルドスの草原には、今や誰も住まない巨大都市「カンバシ(康巴什)」が忽然と出現し(http://baike.baidu.com/view/1177473.htm)、又の名を鬼城(幽霊都市)とも呼ばれるようになっているのは、中国を覆い尽くした一連の悲喜劇の最たる象徴であろう。草原が乱開発されれば砂漠化も進み、黄砂の悪化を招いたことは言うまでもない(黄砂の問題はそれ自体根が深いため、いずれ別の機会に論じたい)。
一党独裁中国の本質を見抜けない日本
そして、この歴史は日中関係悪化の歴史でもあった。
対中円借款を後押しした当時の日本政府・世論の総意には、中国経済が発展し、改革開放が加速すれば、中国社会の多様化・民主化も進み、日中関係も一層改善するに違いないという、如何にも予定調和的なコンセンサスがあったことは否めない。筆者もかつては、そのような考えを強く持っていた。日本の対外援助の歴史は戦後賠償の曲折から始まりつつも、福田赳夫元首相の「福田ドクトリン」によって現地のニーズを重視したものとなり、東南アジア諸国との関係も以来大幅に改善したことから、中国との関係においても同様の「和解」を期待していたはずである。
しかし、中国には中国の論理がある。のみならず、ソ連崩壊の衝撃をうけて中国が強烈なナショナリズムに向かい、共産党体制主導による経済発展のもと必然的に社会矛盾が激化することで、そのような円借款の効果を打ち消してしまいかねない可能性があることを、多くの日本人はついに見抜けなかった。
したがって筆者には、中国から日本に飛来する大気汚染物質が、単なる中国の野放図さの現れのみではなく、一党独裁中国の本質を見抜けないまま安易な期待をした日本の戦略的敗北(否、そもそも戦略が脆弱であったことの帰結)であるように思われる。勿論、通商国家日本が最早かつてのような圧迫を周辺国家に与えることは有り得ず、そのようなものとして戦後発展を続けて来たことを中国も認識するよう望むし、今後の外交や対外援助政策も福田ドクトリンの発展形態であるべきだと強く思うものである。しかし中国には、そのような日本の願望がねじ曲げられて解釈されてしまう政治的回路が厳然としてある。