日本を救った海外炭
イノベーションへの起点
「未知の領域への開拓精神と使命感、技術革新への執念は今も受け継がれるJパワーのDNAです」
渡部社長がそう言うように、70年代にはその後の試金石となる新たな挑戦の場が待っていた。国内初となる海外炭を活用した火力発電スキームの確立である。50年代に見られた石炭から石油への流体革命と、60年代半ばの水力から火力への主従逆転により、この時期には電源の7割以上を石油が占めていた。だが、73年の第1次石油危機を経て、特定資源への過度の依存が危険であることがわかると、日本のエネルギー政策は複数の資源を最適に組み合わせる「ベストミックス」へと舵を切っていく。
Jパワーはこれに先駆け、海外炭を燃料とする大規模火力発電所の建設プロジェクトを始動。81年に運転開始となる松島火力発電所(長崎県)をその第1号として、石炭調達先の選定から日本への輸送手段確保、プラント建設のための環境調査、排ガス処理技術の開発など、およそ10年がかりで数々の課題を乗り越えていく。これらの経験値はエネルギーの多様化へと進む国内の民間事業を後押ししたのに加え、アジア太平洋地域に広がる発電用石炭のサプライチェーン構築にも奏功した。
石炭は埋蔵量が多く、世界中に分布するため地政学的影響も受けにくく、当時は経済的・安全保障的な利点が大きいとされていた。残る環境面での対策として、JパワーではSOx・NOxなどの有害ガスをほぼ完全に除去する装置を開発し、また燃焼効率を極限まで高める技術でCO2排出量を抑制。世界最高水準のクリーンコール技術を確立して海外技術協力に生かすほか、石炭ガス化技術の開発により、蒸気とガスの両方を使う仕組みでさらに環境性能の高い発電方式への道を拓いた。この仕組みは今、大崎クールジェン(株)での実証段階をほぼ終えて、設備更新の時期を迎えた松島火力発電所への実装準備が進められている。
その先には、石炭ガス化の延長線にある水素製造や水素発電、さらには発電過程で回収したCO2を利用または地中に貯留するCCUS技術の実用化も見えている。
カーボンニュートラルへ
全方位のオプション展開
2004年の完全民営化と前後して、これら新技術の開発や海外展開に拍車がかかる。「安定よりも挑戦。持てる力とノウハウを存分に発揮したかった」と、民営化準備室長を務めた渡部社長は振り返る。その象徴的な取り組みの1つが大規模風力発電への参入だ。
町内牧場に立地し、地域との共生で耳目を引いた苫前ウィンビラ発電所(北海道)の2000年運転開始を皮切りに、これまでに全国20地点以上で風力設備を開発。その出力規模は、水力と並んで国内第2の位置にある。最近では洋上風力にも傾注し、英国の知見に学ぶプロジェクトにも参画する。
このほか地熱や太陽光も合わせ、25年度までに再エネで150万kW以上(17年度比)の新規開発を目指す。ただし、カーボンニュートラル実現までのトランジション(移行)には複数のオプションで万全を期すのが、Jパワーの基本スタンスだ。佐久間など経年化した水力設備のリパワリング(一括更新)や、松島など火力設備での石炭から水素への転換、バイオマス/アンモニア混焼など、既存設備を有効活用しながら新たな価値を生み出す「アップサイクル」の推進が外せない。
それらを可能にするのが、70年で培われた総合力の基盤であり、Jパワーが描く2050年までのトランジション戦略である。