CO2フリー電源で
エネルギー安定供給へ
・石炭火力発電所から回収したCO2を液化し、トマト温室に運んで栽培に有効利用(7月27日)
・洋上風力発電所がつくった電気の運搬船を開発するスタートアップ企業に出資(7月5日)
・JR東海武豊線の再エネ由来電力100%運行に協力、CO2排出量実質ゼロ実現へ(6月20日)
今年9月に創立70周年を迎えるJパワーはこのところ、カーボンニュートラル実現に向けた施策の発表を矢継ぎ早に続けている。昨年2月には経営戦略「J-POWER “BLUE MISSION 2050”」を発表、エネルギー安定供給とCO2排出量削減を両輪で動かしながら2050年にカーボンニュートラルを達成するという、具体的な道筋を明らかにした。
次いで4月に策定した「中期経営計画」では、そのロードマップに沿ったアクションプランを提示、グローバル展開を含む再エネ開発の加速化や、CO2フリー水素の製造と活用など、今後3年間で重点的に取り組んでいく計画を示している。冒頭の施策はすべてその一環に位置づけられるものだ。
同時に組織改編を実施、新たに「ESG・経営調査室」を設けるなどしてサステナビリティへの姿勢を強めている。設定したマテリアリティ(重要課題)は、「エネルギー供給」「気候変動対応」「人の尊重」「地域との共生」「事業基盤の強化」の5つである。
多面的な取り組みを進める背景には、エネルギーの安定供給は特定の資源や発電方法に偏らず、多様な選択肢を組み合わせることが要諦との考えがある。「だからこそ、これまで積み上げてきた技術と経験と、それらを集めた総合力が重要なのです」と、Jパワーの渡部肇史社長は強調する。
では、その総合力とは何か。どのように蓄積され、どう生かされるのか。70年の軌跡を踏まえ、近未来像を展望する。
始まりは大規模水力
戦後日本の大復興から
1952(昭和27)年9月16日、戦後の経済復興に不可欠な電力供給を確保すべく、電源開発促進法に基づく特殊法人としてJパワーは設立された。折しも勃発した朝鮮戦争を機に、日本の経済力強化に向けてGHQの占領政策が大きく転換した時期だった。51年には全国を9つに分割する電力会社が発足したが、旺盛な電力需要は賄いきれず、資金力と開発力で補完する存在が求められていた。9電力会社には火力開発が重点的に課される一方、困難を極めることが予想された大規模水力の開発はJパワーの技術力に託された。貯水池式の水力設備は素早く起動し大量に発電できる強みがあり、季節や時間帯によって大きく変動する電力需要への対応に優れるからだ。その役割は今も変わらない。
Jパワーによる大規模水力開発の急先鋒は、56年運転開始の佐久間発電所(静岡県)であった。諏訪湖から遠州灘へと流れる天竜川の中流峡谷部に位置するこの地は膨大な流量に恵まれ、古くから発電適地とされてきた。だが、断崖絶壁の難所で洪水の危険も高く、従来工法ではダム・発電所建設に10年は要するとみられていた。
しかし、逼迫する電力事情はその猶予を許さない。Jパワーは最新鋭の土木重機と機械化工法を米国から先駆的に導入、日本の技術力も結集し、着工からわずか3年で開発を成し遂げた。高さ155.5m、頂長293.5mのダムは当時の国内最大記録。最大出力35万kW、年間発生電力量約14億kWhは今でも国内最大級を誇る。
佐久間開発の成功は日本の土木建設業の進展を触発しただけでなく、敗戦後の自信喪失ムードからの回復にも一役買ったとされる。映画『佐久間ダム』は空前の観客動員数を記録したという。
Jパワーはその後、田子倉発電所(福島県)、奥只見発電所(新潟・福島県)といった大規模水力を次次に建設。貯水池式に加えて揚水式の開発にも乗り出し、高度経済成長で急伸する電力ピークに備える手を打った。揚水式は、余剰電力で水を汲み上げ、需要に応じて適時発電する方式。いわば巨大な蓄電池だが、これは現在、天候等の影響で出力調整が難しい再エネ発電の補完役としても活躍中だ。
Jパワーはまた、周波数の異なる東西地域を連系する佐久間周波数変換所(65年)や、北海道と本州を結ぶ北本連系設備(79年)など、全国をまたぐ送変電網の整備も実施。送電網は現在、総亘長約2400kmにおよび、広域にわたる電力融通に貢献する。
これら発電・送変電設備の建設・運転・保守に関する技術は海外にも移転され、62年のペルーでの初事業以降、今に続くコンサルティング事業や開発事業の起点となった。これまでに64カ国・地域で400件近い実績がある。