2024年11月22日(金)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年12月15日

見直しができない3つの理由

 軽症や無症状者の全員入院や全数報告など、2類の規制は実施困難なものが多く、緩和されたものも多い。残る規制は入院先を指定病院に制限することだが、これが医療崩壊の原因になり得ることはよく知られている。にもかかわらず規制解除しない理由は、新型コロナの感染力が極めて強く、重症化率や死亡率が高く、一般の病院では対応できないためという。

 確かに4波までの致死率は高かった。しかし5波以後は致死率が下がり、インフルエンザの致死率の2倍以内になっている。

 大阪府のデータでは、7波の60歳以上の致死率は0.48%でインフルエンザの0.55%とほぼ同じ、60歳未満ではともに0.01%である。今後どんな変異株が発生するのか分からないという意見もあるが、これまでは感染性は高いが重症化率は低い方向に変異している。

 将来起こるかもしれない致死率が高い変異株の発生を懸念すれば、対策は永久に緩和できない。その場合は新たな対策をすればいい。

 にもかかわらず、なぜ5類変更が遅れているのだろうか。理由は3つある。

 第1は、感染対策が作り出した恐怖感だ。ワクチン接種が始まるまでの対策は自粛だけだった。自粛を促すために専門家は連日メディアに出演して、新型コロナを恐怖の感染症に仕立て上げた。その結果、多くの人が感染の恐怖におびえ、自主的に厳しい規制を行なった。

 ちなみに中国では「ゼロコロナ政策」に国民が反発し、習近平政権は急遽規制緩和に乗り出した。ところが日本と同様にコロナの恐怖を植え付けられた国民は規制緩和に不安を感じているという。

 どちらの国も「植え付けられた恐怖」が大きい。そしていまだ毎日重大ニュースとして発表される感染者数の増減が恐怖感と連動し、世論となり、内閣支持率に反映される。

 第2は、政治の決断力の不足だ。政治家は国民を感染のリスクから守りながら経済が低迷するリスクを回避する方策を考えるのが役割である。しかし自身の評判が下がる政治リスクの回避を最重要視せざるを得ない。

 国民感情を考えたときにどう決断したら政治リスクが小さいのか。その答えは判断の責任を医療専門家に負わせることだ。

 国民への説明を行ったのは医療専門家であり、総理の記者会見に医療専門家が出席して自分の意見を述べるという異常な事態続き、専門家の意見が総理以上に大きな影響を与えた。そうしたのは政治の責任である。

 第3は、医療専門家の対応だ。「経済より生命が重要」という理想論を背景にした対策を提言し、それが国民感情に一致して、政治家より信頼される存在になった。しかし対策は費用対効果や実現可能性を考慮した現実論で行う必要がある。

 対策に理想論を持ち込むと実施困難になるのだが、2類指定はまさにこの間違いを犯した。早期の見直しが必要だったのだが、ここでも医療関係者の判断が優先されて、政治家の陰は薄かった。


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