サイバー空間の権力論

2013年7月10日

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塚越健司 (つかごし・けんじ)

拓殖大学非常勤講師

1984年生。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)、共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、など。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップ担当としてレギュラー出演中(http://www.tbsradio.jp/dc/)。

 しかし、こうした事実を否定的に捉えない声もある。PRISMの発覚直後、ワシントン・ポスト紙が行った調査によれば、個人のプライバシーが侵害されても、テロ防止が理由であれば、NSAの監視は「容認できる」という回答者が56%で、「容認できない」という41%を上回っている。またクラッパー情報長官は、電話記録プログラムは2009年のニューヨーク地下鉄爆破テロ計画等2つのテロ防止に役立ったと述べている。

 オバマ大統領は今回の事件に対し、テロ防止といった国家の安全保障と、個人の自由の100%の両立は困難であり、トレードオフの関係にあると述べている。したがってアメリカ政府としては、多少のプライバシー侵害は仕方ないと考えているようだ。さらに一歩踏み込んで言えば、おそらく世界中の政府が同様の監視や通信傍受をしていると考えても不思議はない(現に一部の国家でPRISMと似た監視プログラムに関する報道がなされている)。その意味でいえば、良い悪いは別としても、政府レベルではこうした実践は暗黙の了解なのかもしれない。

 もちろん政府の方針に納得できないこともある。上記のような単純な調査ではない方法で調査すれば、プライバシーに関して異なる結果が生じるだろう。またテロに関しても、今年4月に生じたボストンマラソンのテロは防止できなかったとの声もある。したがって、テロ防止のためだけに監視プログラムの存在を簡単には容認できない。加えて言えば、PRISM以外の通信傍受の件等、政府は国民に説明すべき問題に未だ充分に答えているとは言い難い。

監視反対の言葉で片付けられない

 では、こうした問題をどのように捉えるべきか。まずは、この種のプライバシーと監視の問題を、すぐに監視反対の言葉で片付けてはならない。誰が批判しようとも、情報通信技術の発達は人々の監視を容易にするばかりか、データの活用によって人々の利便性を発揮することもあることはこの連載でも述べてきた。監視の存在を否定しようが肯定しようが、すでに存在する技術をどう扱うべきか。そうした具体的な議論をすべきである。

 複雑で多様な人々で構成される社会においては、何を担保に我々が公共性を獲得するかが問われる。すなわち、最低限の安全を保障するために、どこまでなら自由を犠牲にしてもいいのか。自由を犠牲にするラインはどこまでなのか。スノーデン氏に端を発する今回の事件は、善悪ではなく、世界各国で安全と自由の境界線を決定する議論を巻き起こす契機とすべきである。そうでなければ、我々は知らぬままに技術に踊らされてしまう。技術を如何に活かすべきか。そのような議論を呼び起こすべきではないだろうか。巨大な権力の、その作動条件を議論することが、今求められているように思われる。そうした議論の中から、改めて近代社会に生きる我々の社会的ルールを創りあげて行くべきだろう。


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