2024年12月4日(水)

WEDGE REPORT

2023年4月8日

 米国への移住当初は、鶏肉工場での作業や飲食店の給仕として働く者が多かったが、今では人手が必要とされるシカゴのオヘア国際空港での労働や配車サービス「ウーバー」の運転手、アマゾンでの配達で生計を立てる者が増えている。中には1日で300ドル近く稼ぐ者もいる。他にも自宅の地下を倉庫に改造しアジア諸国から民族衣装を輸入し、ユーチューブで商品説明のライブ中継を行い米国に住むイスラム教徒へ通信販売する新たな事業を開拓する者もいた。

自宅地下からオンラインで販売する民族衣装は全米へ届けられる

 2015年からミルウォーキーに住むマッカ・カーン(47歳)は「11歳でミャンマーを去り学校には行っていない。マレーシアでは時給6~7ドルで靴を売り歩き、米国に来た当初は精肉工場で働いていた。ホームレスになるのが怖くて8時間勤務のところを上司にお願いして15時間働いた。今は3つの店とアパート5室のオーナーをしている。貧しい生活には戻りたくない」と振り返る。

 そして、「ロヒンギャは負けず嫌いで強欲。多くは一軒家を手に入れ高価な車に乗り、豪華な家具、大型テレビを買い求める。誰か知り合いが何か高級なものを買ったと聞くと、自分はもっと働いてもっと高価なものを買おうとする」と冗談めいて教えてくれた。米国の多様性を認めチャンスを与える寛容さと、ロヒンギャの勤労さや上昇志向が上手くマッチしたことにより、彼らはこの地に強固な基盤を築くことが出来たのだろう。

 シカゴにもミルウォーキーにもロヒンギャがお金を出した建てたコミュニティセンターやモスクがある。それらの場所では子どもたちにパソコンや英語、コーラン(イスラム教の根本聖典)、礼拝の作法を教えている。米国に移住してきたばかりのロヒンギャへの生活サポートを行っている。

 自分たちの文化を大切にし、新たな同胞を受け入れる体制を整えつつある。経済的に成功したということもあるが、民族としての絆の強さを感じさせる。

変える米国育ちのロヒンギャたち

 物心ついた時から米国で育ったロヒンギャの若者たち、特に男の子は他の民族の若者と同じようにヒップホップを聞きギャングに憧れ、バスケットボールをし、時には大人にばれない様に酒やマリファナにも手を出す。ロヒンギャの伝統や文化が薄れていくことも懸念されるが、その一方で彼らも普段は礼拝に行き、親や指導者からコーランやイスラムの教え、そしてロヒンギャの文化を学ぶ。

 また、満足な教育を受けることが出来なかった親たちのからの期待を背負い、高校卒業後は大学に進学する者も増えている。彼らはミャンマー人であり、米国人であり、そしてロヒンギャというアイデンティティで生きている。

 迫害を逃れてミャンマーを離れた多くのロヒンギャが望んでいるように、米国に暮らすロヒンギャの人たちも祖国にいつか帰りたい、子どもたちに故郷を見せたいと望んでいる。ミャンマーでは21年にクーデタが勃発し、政情はますます不安定さを増している。

 閉塞した祖国の状況に近い将来変化をもたらすのは多様性を認める社会で育った若者たちかもしれない。

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