2024年4月27日(土)

WEDGE REPORT

2023年4月8日

 「世界で最も迫害されている少数民族」とも称されるロヒンギャが米国で活躍する姿を見せている。ロヒンギャが持つ勤勉さや上昇志向と、移民に寛容な米国の風土がマッチした形だ。すでに米国で育ったロヒンギャも存在し、若者の〝米国化〟も懸念されるが、新たな民族の形として日々まい進している。

米国・シカゴのコミュニティセンターで礼拝をするロヒンギャの子どもたち (筆者撮影、以下同)

今でも続く迫害

 ジャハーン氏(52歳)は2010年に、家族とともにマレーシアから米国中部の都市シカゴにやってきた。ミャンマーで農業を営んでいたが、度重なる差別から逃れるために1996年に家族と離れて単身マレーシアを目指し、日雇い労働をして15年間マレーシアで暮らして結婚もしたが、「安全だが、さまざまな規制があり監獄にいるようだった」とまたその国を出た。現在はアマゾンの荷物配達と電気技師をして生計を立てている。

 彼は、最初に米国に移住したロヒンギャ家族の一つである。

 イスラム教を主流とするロヒンギャは、主にミャンマー南西部のラカイン地方に数世紀にわたり暮らしてきた。しかし19世紀の英国による植民地化後に英領インドからロヒンギャがさらに流入し、その一部が優遇されたことから大多数を占める仏教徒との軋轢が高まり共存関係のバランスが崩れた。

 そして1960年代の軍事政権の発足以降、弾圧は激しさを増し、彼らはバングラデシュからの不法な経済移民と見なされ国籍を剥奪され、移動、結婚、教育、宗教、労働などさまざまな権利を奪われた。

 ロヒンギャへの弾圧は今でも続いており、2017年8月に発生したミャンマー政府によるロヒンギャに対する弾圧のニュースを覚えている方も多いだろう。一部のロヒンギャの過激派がミャンマー軍と警察の施設を襲撃したことにより軍主導による政府の掃討作戦と称した報復活動は民族浄化と言っても過言ではない程の被害を生み出した。新たに70万人以上のロヒンギャがバングラデシュに逃れ、現在も難民キャンプでの暮らしを余儀なくされている。

 米国にやって来たロヒンギャの多くはそうした1970年代から現在まで続いている母国ミャンマーでの弾圧や迫害から逃れるため祖国を離れている。民主化を求める学生運動に加わり命の危険を感じた、度重なる差別を受けた、満足な教育が受けられなかったなど理由はさまざまだ。

 最初に彼らが目指した先はマレーシアである。マレーシアはイスラム教徒が多く難民にも比較的寛容とされているためである。

 ミャンマーを出国する手段は、簡易なボートに乗り直接マレーシアを目指す方法と、国境を越えてタイに渡り徒歩やバスでマレーシアを目指す手段がある。しかし道のりは決して平坦ではなく、さまざまな困難が待ち受けていた。

 ボートに乗って海を渡る場合は途中で遭難したり、食料が尽きてそのまま餓死する人も大勢いたという。タイを経由する場合には1カ月もかけてマレーシアまで歩いた人も多くいた。


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